この記事は『がんになった外科医 元ちゃんが伝えたかったこと』(西村元一著、照林社、2017年)を再構成したものです。
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何らかの役割があるからこそ、生きている
自分の役割は何なんでしょう?少なくとも病気が見つかる前は、家では「夫」「父親」、仕事場では「医師」、その他に公私いろいろな役割があり、睡眠時間や自分自身にしか関係のないわずかな時間を除いて、1日のほとんどの時間をその何らかの役割を果たすのに費やしていました。
しかしながら、実際のところ病気になるまではあまり考えたことはありませんでした。毎日を忙しく過ごしていると、何も考えず時間に追われているだけに思えますが、じつはほとんどの時間、何かの役割を果たしているのではないでしょうか。病気になり何もできなくなって、改めて自分にはいろいろな役割があったんだということがわかりました。
役割がなく、ただ生きている人間など存在しません。やはり誰もが何らかの役割があるからこそ生きているのだと思いますし、ある意味、役割を求めて生きていると言っても過言ではないとも思っています。
目標をもつことは、身体と精神のバランスがとれていないと難しい
胃がんが見つかり、はじめのころは治療やその効果のことなどで頭がいっぱいになり、他のことを考える余裕がありませんでした。
ただ、治療効果がなければ年を越せるかどうかもわからない病気であったことから、少なくとも身のまわりのことだけは片づけようということで、学会活動をはじめとして自分がやってきた公的なこと、私的なことのけっこうな部分の断捨離を行いました。
その後、抗がん剤治療、手術、放射線治療の集学的治療の効果があり、小康状態が得られ体調的にも少しずつ元気が出てくると、何かできることがないかと考え始めました。そのときはじめて自分が果たしてきた役割を振り返ってみたような気がします。
ただ、そのなかで何ができるかを考えるときには、そのときの体調に左右されるとともに、もしそれを始めるとした場合に、本当にできるのか?かえって中途半端にかかわってしまうことで誰かに迷惑をかけるのではないか?などいろいろなことが頭の中をよぎり、一歩踏み出すにはかなりの思いきり、もしくは背中を押してもらうことが必要でした。
病気になる前は、城山三郎さんが本に書かれた「あれこれ考えるより、つくるのが先決だ。まずいところがあれば、動かしながら直して行けばいい」(『男たちの好日』、日本経済新聞出版社)をモットーとし、まず行動するタイプだったのが別人のようであり、自分ながら歯がゆい面でもあります。
しかし、やはり患者の立場になってみると何かやりたいと思うには、よほどの使命感がない限りは、体調など身体とそのような精神的なバランスがとれた状態でないと、実行に移れないのが実際です。
一般的に、がん患者の闘病意欲を増すためにも何かできそうな目標をもってもらう、もしくはもってもらえるように支援しようというアプローチのしかたが唱えられており、自分自身も診療しているときには安易に患者さんに「ご主人と〇〇へ行けるように体調を整えましょう!」とか「お孫さんが小学校に行くまではがんばらんなんね!」などとよく言っていたことを思い出します。
ただ、患者さんによっては調子がよくない、もしくは効果が認められないようなときに「〇〇まで……」などと言われるのは、ありがた迷惑、もしくはかえってつらい言葉を投げかけていたのかもしれません。
自分の使命──。医師と患者、両方の視点から体験を語ること
自分自身、残りの人生の大きな目標として「自分の体験を生かしてもらう」「金沢マギー(=元ちゃんハウス)を作る」という2つを掲げてきましたが、予後や体調のいい意味での予想外の展開から、自院での臨床や、最低限残した学会活動や医師会活動など、ある意味中途半端になっている活動をどうするか考える必要が出てきました。やはり欲が出てくると一度は諦めたにもかかわらず、病気が見つかる前と同様にバリバリと仕事をしたいという気持ちも芽生えてきます。
とはいえ、一方では「できることをすればよいから!」とか「出て来てくれるだけでもよいので!」などと言ってもらっても、本当にそれでよいのかどうか、どうしても自問自答してしまいます。
また、今後もいつ増悪して何らかの症状が出る、もしくは新たな治療を開始するとなったときに、元通りとは言えないものの、少しでも責任のある仕事に就いた場合に、まわりに今以上の迷惑をかけるということになるかもしれません。であれば、誰でもできるようなことだけをするしかないかな?と考えるほかないような気もします。
そして幸か不幸か、自分の場合は医師と患者の両方の視点から見た体験を語るという、周囲からも求められる役割があります。元はといえば医者の不養生そのものから始まったものですが、もしかしたらそれが使命なのかもしれません。