「納得のいく生き方を構築したい」という心理
この記事は『不登校・ひきこもりが終わるとき』(照林社)より再構成したものです。
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ここで、不登校やひきこもりとは何なのかを、心理メカニズムの観点から私なりに説明したいと思います。
前述したように、不登校やひきこもりは、本人が人生を歩んでいるなかで、そう歩まざるをえない〝生きざま”であると考えられます。
これに対し、社会問題にもなっている「〈いじめ〉がきっかけの不登校は、相手から追い込まれてなるものだから別なのでは?」という疑問を、あるメルマガ読者の方からいただきました。それには、次のようにお答えすることができます。
いじめられている子のなかで、我慢して学校に通い続ける子と、不登校になる子がいます。
この違いは、いじめられているうちに「今の自分(いじめられているのに無理して通学し続ける自分)でいいのか?」という「感覚」を呼び覚ます「エネルギー」が「奥深くから沸き上がってくる」かどうか、言い換えれば「無意識からの指令」が「学校を休んではならない」という「規範意識」より強くなるかどうか、という違いなのです。
本人たちの多くが、いじめが解消されても再登校するとは限らないことが、そのことを裏付けています。
すなわち本人は、単に〝追い込まれて一時的に避難した?という受け身のプロセスを認めることができず、もっと主体的な生き方を模索していると思われるのです。
このように、不登校やひきこもりの心理メカニズムは、どのようなきっかけにも多かれ少なかれ共通していると、私は考えています。
では、不登校のきっかけにはどのようなものがあるのでしょうか。
1.心理的きっかけ
理由がわからないまま登校する気力が失われていくものです。あとになって「生き方が変わった」などと述懐する子が少なくないため「人格形成の一段階(自分づくり)」という意味を持っているケースが多いように思います。
2.現実的きっかけ
教室や部活でのトラブル、いじめや体罰などを体験(自分が受けたり目撃したり)して傷ついたことがきっかけになるものです。「そのような環境からの避難」という意味を持っているように思います。
3.意識的きっかけ
学校の雰囲気が合わない、すなわち学校そのものへの違和感が意識されたことがきっかけになるものです。「〈学校の価値観やシステム〉に欠けている要素への異議申し立て」あるいは「学校以外の道への渇望」などの意味を持っているように思います。
なお、このような不登校のきっかけは、おとなのひきこもりにも応用することができます。すなわち「心理的きっかけ」は理由がはっきりしないものであり、「現実的きっかけ」は職場でのいじめや過酷な労働環境などであり、「意識的きっかけ」は社会そのものへの違和感です。
以上のように、不登校やひきこもりの心理は「転んでもただでは起きない」と表現することができるような、自分に納得のいく生き方を構築したい、という願望の強さをうかがわせるものなのです。
その思いを活かす対応のあり方を、考えていきましょう。
『不登校・ひきこもりが終わるとき』
丸山康彦 著
照林社、2024年、定価 1,870円(税込)
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