この記事は『がんになった外科医 元ちゃんが伝えたかったこと』(西村元一著、照林社、2017年)を再構成したものです。
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 今回は、がん患者にとっては非常に気になる「予後」「余命」という言葉について考えたいと思います。

 最近はマスコミ等で「余命○月のがん患者」云々というように、「余命」という言葉をよく目にするようになりました。実際、昨年の9月に出版した自著『余命半年、僕はこうして乗り越えた!~がんの外科医が一晩でがん患者になってからしたこと~』(ブックマン社刊)でもタイトルに「余命」という言葉を使っています。

 じつはそのタイトルを決める際にも「医療者としては、『予後』半年……のほうがすっきりとする」という意見を出していましたが、編集部の方々が「『予後』という言葉は医療専門語的であり、一般の人には意味がよくわからない。『余命』のほうが一般の人にはピンと来るし、インパクトがある」ということで決まった経緯があります。

「予後」の使い方は二通り──「見通し」と「余命」

 私自身は診療に携わっていたときには「余命」という言葉を使うことはなく、代わりに「予後」という単語を使っていました。辞書を見ると「予後(よご、英:prognosis)とは、手術や病気、創傷の回復の見込みを意味する医学用語」というように記載されています。たいていは「あなたのがんはタチがよくて、けっこう予後はいいです」という「見通し」としての使い方が一般的でしたが、その一方で「だいたい予後は6か月ぐらいです」というように、ある意味「余命」という単語の代わりに使ったりもしていました。

 つまり現場では2通りで使っていたことになります。

 後者のように使っていたときには、やはり患者さんから「『予後』って何ですか?」と聞かれることがあり、その場合には「あとだいたいどれくらいか、ある意味『余命』ということです」と答えていました。

 基本的には前者の「見通し」としての使い方がメインなのだと思いますが、まだまだ専門用語的であり、患者本人としても、そのような「大きな見通し」よりも「あとどれだけですか?」と期間を聞きたくなるのが本心です。その際、医師は、後者の患者本人の「余命」という答えかたをせざるを得なくなるのだと思います。

はっきり言い切れる「余命」の指標はない。にもかかわらず…

 それでは「余命」のほうはどのようにとらえられているでしょうか?辞書には「(平均)余命(よめい/よみょう、英: life expectancy)とは、ある年齢の人が、その後何年生きられるかという期待値のことであり、生命表で計算される」というように記載されており、「余命」というのはそれこそ一般の人にとって「残っている命」という言葉がじつにぴったりではないでしょうか。

 しかし、根治不能ながん患者にとっては「あとどれぐらい生きられるか?」ということは本当に切実な問題です。もちろん病態は患者一人ひとり異なり、「どれくらいか?」をはっきりと言い切れる指標はほとんどありません。

 たいていは、例えば「切除不能な多発の肝転移がある大腸がんならこのぐらい」という感じで、その医師が知るいろいろなエビデンスと自分の経験からだいたいのめやすをもって「あと○か月」と言うように告知をしているのが実際のところだと思います。

 また、医師の裁量で、患者さんやその状況しだいで少し長めに言ってみたり、短めに言ってみたりすることもあり、適当に言っているわけではありませんが、かなりアバウトな数値であることも事実です。

 さらに医学はどんどん進歩しており、前述のような大腸がんの患者さんの場合、20年ぐらい前であれば「あと半年、もって1年」だったものが、現在は「平均的に30か月」となり、隔世の感があります。ですが専門外だと、どうしても医学の現状を把握することが遅れてしまうため、下手をするといい加減な告知になる可能性が考えられます。

 その結果として数値だけが一人歩きしてしまい、「あそこの病院よりこっちのほうが予後が長いと言われたので、こっちの病院のほうがいい治療をしてくれるんじゃないか?」といった「治療のレベル」のようなとりかたをされたり、「たまたま短い予後を伝えられ、いざ治療を始めたら結果としてそれ以上の生存期間が得られ、それは先生のおかげだ!」と考えたりする患者さんがけっこういたりして、医療者が考えている以上に「予後」「余命」……というか「あとどれだけ残されているかの期間」は、患者さんにとってのインパクトはとても大きいのです。

 これは結果として、医療者と患者さんとのコミュニケーションをよくしたり、悪くしたりする因子にもなり得ることを、医療者としてもっと考えておきたいと思います。

医療者はがん患者が受ける言葉の衝撃に配慮を

 本連載では何回か「患者さんは言葉に非常に敏感になる」と書きました。この場合、患者さんの立場になり気になるのは「余命」という単語です。

 以前出会った患者さんから「『余命』という言葉は嫌いです。人生に余った命や時間なんてありません」と言われたことがあります。前述のように一般的に平均余命として正しく使われれば問題はないと思いますが、がん患者の立場で考えてみると、残された時間は6か月ぐらいですという意味で「あなたの『余命』はあと6か月です」と言われると、かなり気になるのは当然です。

 長くはないかもしれない残りの人生を一日一日、一生懸命生きている患者さんにとって、「余った命」などあり得ません。「予後」と「余命」、この2つの言葉にも医療者と患者さんとの壁が何となくあるような気がしています。そこの部分のきちんとした定義を日・英・米のいずれもしっかり行ってこなかったことが、ある意味現在の矛盾につながってきた大きな原因となっているのではないでしょうか。

『がんになった外科医 元ちゃんが伝えたかったこと』

西村元一著
照林社、2017年、定価1,430円(税込)
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