この記事は『不登校・ひきこもりが終わるとき』(照林社)の一部を再構成したものです。
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【第1回】はじめに
【第3回】第 1 部〔入門編〕不登校・ひきこもりという “ 生きざま ” にむきあう
『不登校・ひきこもりが終わるとき』の記事はこちら

 春は、新しい年度の始まりです。不登校状態からの進級進学や留年などで新しく出発する人、ひきこもり状態からアルバイトや仕事を始める人、そのような目に見える進展がない人……など、それぞれの人生を歩まれていることと思います。
 
 本人またはご家族からご相談を受けていて、結果的に本人が進級進学を果たしたケースのなかには、年明け前の時点では「今の状態では目標が高すぎる」として、目標を達せられなかったときの対応も周囲が想定していたケースもあります。
 
 結局その必要がなくうまくいった、つまり、「無理しているからといって必ず挫折するとはかぎらない」というケースだと言えます。
 
 もちろん、これで全面解決だと断定できるかどうかは誰にもわかりません。「ホームランを打ったが試合はまだ続いている」といったところでしょうか。いずれにしろ、大きな一歩を踏み出した本人の決意と努力に拍手を送り、前途に幸あらんことを祈っています。
 
 私は10年以上にわたり、メルマガを通していろいろなことを書いてきましたが、そのすべてを貫いている論旨は「不登校やひきこもりの人への対応は、本人の願いや思いを前提に判断され実行されるべきである」ということに集約できます。
 
 逆に言えば、対応は周囲の願い――多くは「学校/社会への復帰」――を前提に判断され実行されるべきではない、ということです。

「学校/社会への復帰」を前提に判断され実行されるべきではない

 そのため私は「本人はこんなことを思い、あんなことを願っていますから、それに沿ってこういう対応をしてはどうでしょうか」と提案することになります。
 
 こう申し上げると、「〝学校/社会に復帰しなくてもいい〞と無責任に煽っているのか?」と誤解されそうですが、そうではありません。
 
 と申しますのも、不登校やひきこもりの人の多くは「学校になんか行くもんか」「社会に出ずにすむならそうしたい」どころか、往々にして「学校/社会に復帰したい」と願っているものだからです。
 
 つまり、周囲が願わずともほかならぬ本人自身が「学校/社会に復帰したい」と願い、そしてそれを実現しようとするわけです。このことは「本人が無理な目標を設定している」と私が感じても、それをクリアする人がいる、という冒頭のお話からもおわかりいただけるでしょう。
 
 「それだったら話は早い。本人と周囲の願いが一致しているのだから、学校/社会への復帰めざして一緒にがんばればいい」ということで話が終わりそうですが、事はそう簡単ではありません。
 
 私が前提にすべきと考えている「本人の願いや思い」は、そこから先の話なのです。