事例紹介をもとに、看護介入をナラティブに伝えます。今回は慢性的な腰の痛みを訴えるパーキンソン病の患者さんの事例を振り返りながら、別角度から、ナースの“思い”について分析します。
今回の事例:【第11回】慢性的な腰の痛みを訴えるパーキンソン病の患者さんの事例

〈目次〉
患者さんの苦悩にかかわる看護
“何か変”を感じて看護にするには、「勇気」と「患者さんへの関心」がいる

事例についてのリフレクション

患者さんの苦悩にかかわる看護

 看護師が入院患者さんの側(そば)にいる意味は何だろう?
 いつも(私が看護師になった昔から!)、病棟の看護師は忙しく動き回っている。ナースコールに反応し、絶えず患者さんに全身全霊を傾けて、そこにいる。なくてはならない存在だ。

 患者さんにとって、回復を助けてくれる医療は、医学的な治療だけではない。この事例のように退院後の生活の場を一緒に考えるソーシャルワーカーや、入院で身体の機能が衰えないように支える理学療法士・作業療法士がいたりする。その支援は具体的で、わかりやすい。目に見えるし説明できる。

 それでは、看護は、どんなことをして、患者さんの助けになることができるのだろうか?今さら……と思われるだろうか?けれどいまだに、看護実践は“他から見えにくい”と言われる

 看護師はいつも入院患者さんの側にいるから、患者さんに近い存在と言われる。医師からは心理的な側面からのかかわりを期待されることもある。私たち看護職は心理も学習するけれど、それを専門に勉強してきたわけではない。側にいるといっても、実際に1日何時間もその患者さんの側にいるわけではない。

 看護は、その患者さんの身体を、それは医学でいうところの“フィジカル”というものではなくて、いうなれば生活する身体を、よく看て、触れて、問いかけて、患者さんと一緒に見て、患者さんがどのように感じているのかをキャッチする。

 そして、患者さんがどのように感じているのか、どのようにしたいと願っているのか、どうやって対処してきたのかということを入れ込んで、医学的知識を総動員して、看護の視点で――苦悩はなにか、回復していく力はあるか、セルフケアはどのようか――を“うーん、うーん”と考える。

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