急性期病院一筋で働いてきたWOCナースが、40歳を目前にして訪問看護に挑戦!きっかけやギャップ、これだけは知ってほしいことなど、リアルな体験記をお届けする連載です。
在宅への関心のきっかけは、「やっとできた親孝行」である父親の介護
「いつか私は訪問看護師に」
そうどこかで思いながら、私は急性期病院で働いていました。私がはじめに在宅で働きたいと思ったきっかけは、父の介護でした。父は70歳目前でALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い、自宅で3年半療養しました。
仕事をしながら父の介護を行うことは、ひと言でいうと“大変”でした。大変なのですが、母とそのときに来てくれていた訪問看護師さんに支えられ、亡くなる1か月前まで、父と自宅で生活することができました。父に、「しんを育ててよかったな」と伝えてもらえたのが、私が「看護師になって、そして認定看護師になって、一番よかった」と思えた瞬間でした。
あのときのことを振り返ると、母は父の介護を「2度目の青春」といい、私は「やっとできた親孝行」だと思っています。大変だったはずなのに、私たちにとってなぜかよい思い出になっているのです。父に対しても“やりきった”という思いが残っています。父の介護での患者家族としての経験が、いつか訪問看護に挑戦したいという気持ちの芽生えとなりました。
いままでの働き方を考え直すきっかけとなったCOVID-19流行下での、ある患者さんへの対応
在宅への道に思いをはせながら働くなか、2020年に環境が一変するできごとが起きました。COVID-19の世界的流行です。私の所属していた病院でのケアにも変化があり、それまでは「患者さんには寄り添いなさい。先取りの看護をしなさい」と教育されていたことが、「患者さんのもとには極力行かない。われわれはコロナにかかってはいけないのだから」と方向転換しました。
当時の私は、COVID-19対応の専門病棟に所属し、最前線で働いていました。そのとき、1人のCOVID-19に罹患した患者さんの対応で考えさせられることがありました。その患者さんは動くと息をするのがしんどくなってしまう状態で、ティッシュやナースコールなどを手の届く、ベッドのまわりに置いておかなければいけない状態でした。
あるとき、その人からのナースコールがありました。「ティッシュが入っていないから補充してほしい。さっき『補充します』って言ったのに全然来てくれへん。どうなってんねん」と手の届く物を投げて暴れていました。
申し送りではCOVID-19でせん妄になっていると受けていたのですが、本人と話してみると、“この人が怒っていることは普通のことじゃないか?”という気持ちになりました。どうやら看護師が対応をおろそかにしたことが積み重なり、この患者さんを怒らせていたようです。
それがわかった私は、“この人のガス抜きが必要だ。今の深夜帯なら、業務が少ないから対応できる”と思い、防護服をフルで着用した状態で部屋に入り、訴えを聞いていました。
すると部屋のスピーカーから、「森本さん、ちょっと出てきてくれる」と上司の声が聞こえてきました。患者さんの部屋から出ると、上司が「なに和を乱して勝手なことしてるの。みんながやってるように早く出て」と言われました。
私は、「なぜ自分がこの患者さんに今、時間をかけてかかわっているのか」を伝えましたが、理解は得られませんでした。私の上司として、一緒に今までの対応について謝罪してはどうかと提案もしましたが、断られました。
私は上司の説得をあきらめ、またその人の部屋に戻り、対応を続けました。すると、その患者さんから、「あんただけやわ。こんなに話を聞いてくれて。なんかしてほしかったんやないねん。ただ話を聞いてほしかっただけやねん。ありがとう」と言われました。あれほど怒っていた人とは思えないほど、穏やかな表情でした。
自分が社会にできることは何か――それは自分の強みを生かすこと
私は、部下や組織を守りたいという上司の気持ちもわかっていましたし、私の行動も勝手なことをしている自覚がありました。ベテランの組織人のやることではありません。
ですが、新型コロナウイルスという未知のウイルスによって、いろんなメッキが剥がれたように感じました。そして、次のようなことを考えるようになったのです。
このままここで仕事をしていると、自分が大切にしていたものがわからなくなる。
コロナ禍であったとしても、看護の本質は変わらないはず。
私のやりたいことは何だ?
私が社会に貢献できる最大のことは何だ?
コロナの対応、後進の育成……いやいや、皮膚・排泄ケア認定看護師として、WOC道をきわめることでしょ! それが私のできる一番の社会貢献のはず。
新しい人生の選択肢を選べるうちに選んでみたいという思い
そこで浮かんだのが、憧れていた在宅への道でした。もちろん、病院で学ぶことは学ばせてもらったと感謝していました。でも、今なら在宅でも通用するのではないだろうか。きっと私が知らない世界が広がっている。もしかすると、病院よりも重宝されるかもしれない、という思いが芽生えたのです。
それに、当時の私はもうすぐ40歳を迎えるところでした。
このまま病院にいて10年経つとどうなる?50歳になったら、私は自分で進みたい道をきっともう選べない。選択肢がない状態で、終わる方法を探して、ワクワクしない毎日の業務をただこなす……給料も休みも安定しているけれど、そんな生活でいいのだろうか。今ならまだ選べるんじゃないか。
今まで培ってきた知識と技術と人脈をフルに使ったら、在宅でまたワクワクすることが待っているかもしれない。やってみたい。自分が憧れていた在宅に今の状態で通用するのかを試してみたい、と強く思うようになったのです。
家族の後押しを支えに訪問看護への道をめざすことに
家族にどう伝えるかは悩みどころでした。子どもが2人おり、まだ小学生でこれからお金がかかります。そこで病院と違い、在宅で働くメリットとデメリットは何だろうと考えてみました。私にとって一番のメリットは、夜勤がないこと。デメリットは、夜勤がないぶん給料が下がることでした。
妻には、今の気持ちを思い切って伝えてみようと思い、正直に話すと「お給料は減っても、それに合うように生活を見直せばいい。あなたのしたいことをしてくれたらいいよ」とあっさり。それから子どもたちに伝えると、「夜勤でお父さんがいなくならない。だったらうれしい」という反応でした。私の思いを前向きに応援してくれた家族に救われました。
その後、上司に相談し、自分の業務整理を行いながら、1年後に退職することができました。家族の応援もあって、私は40歳を目前にして訪問看護という憧れの舞台に挑戦できることになりました。

次回はいよいよ在宅看護の道へ……!
(毎月1回更新)
※この記事は『エキスパートナース』2025年7月号特集を再構成したものです。当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載および複製等の行為を禁じます。