小児科の看護師としての経験を活かし、絵本作家、クリニック事務長、インスタグラマーと、幅広く活躍している村田友梨さん。これまでのキャリアや転機、仕事への思い、看護師になるきっかけとなった学生時代の意外なエピソードなど……、さまざまなお話を聞きました。

村田友梨むらたゆり

看護師

小児科、NICU・GCU、内科などで看護師として勤務。子どもの症状や病気についてSNSで発信。2023年に『コロとカラのびょういんえほん 採血ってなぁに?』(みらいパブリッシング)を自費出版。絵本製作やクリニック事務長の仕事などを通して、子ども、保護者、医療者の3者を支えている。
Instagram:むーゆり/小児科ナース(@shouni.ns.yuri

内科、小児科などでの勤務を経て、医療者を支える“事務長”職に

―村田さんは看護師としての仕事はもちろん、SNSでの発信や絵本の制作など、さまざまな活動をされていらっしゃいます。これまでのキャリアについて教えていただけますか。

村田さん
 はじめは看護師である母の勧めで内科病棟に勤務しました。結婚・出産を経て転職し、小児科やNICU・GCUへ。SNSでの発信を始めたのはこの頃ですね。その後、SNSのフォロワー数が増えたり、子どもが小学生になったりと、いくつかのタイミングが重なり、「好きなことをやろう」と病院を辞めることに。その後、SNSを使ったセミナーを開催するなどしていたときに、小児科時代に一緒に働いていた医師から、「人手が足りないから来てくれ」と頼まれてクリニックに就職したんです。ピンチヒッターのはずだったのですが……、気がつけば3年働いていました。

―病院とクリニック、一番違いを感じられたことはなんでしょうか。

村田さん 
 やっぱり、クリニックには夜勤がないことですね。病院時代は、子どもに「いってらっしゃい」「おかえりなさい」と言える生活に憧れていたんです。ですが、自分が活動的な人間だということを忘れていまして……。今はだいぶ仕事に振り切っています(笑)。現在のメインの仕事は事務長。小児科を中心に、15~16個のクリニックを掛け持ちしています。

―そんなにたくさん!なぜ事務長をすることになったのでしょうか。

村田さん 
 もともと、子どもが病院で嫌な思いをせずに、主体的に医療を受けてほしいという思いがありました。医療者の忙しさや院内の人間関係のしわ寄せが子どもにいかないよう、病院を支えるために何かできるかを考えたときに、行き着いたのが事務長の仕事です。クリニックを開業している先生から、今の上司を紹介してもらいました。上司の会社に所属して、複数のクリニックの事務長となっています。
 事務長として必要な資格は特になく、レセプトを見たり、開業支援をしたりといった人事、経理、労務関連の業務を担っています。看護師が足りない日は、看護業務を行うことも。看護師として一緒に働くと、スタッフの人となりもわかって、事務長の仕事にも活かせます。

―事務長の仕事はいかがですか。

村田さん 
 医療事務の方を採用するのが大変ですね。待遇面の理由から、なかなかなり手が見つからなくて……。また、毎日同じ少人数のメンバーで働くため、クリニックの人間関係で悩んでいる院長は多いんです。私が外から客観的に見て対応することで、解決できる場合もあります。キャリアを振り返ると、内科で働いていた頃は大変でしたが、そのときの経験が今に活かせているなと思います。

村田さん1

看護の道に進んだきっかけは、体育大学時代の“失恋”

―村田さんは体育大学ご出身とのこと。いつから看護師をめざされたのでしょうか。

村田さん
 子どものころに喘息で入退院を繰り返していたことや、母が看護師だったことがあり、もともと看護師は身近な職業で、憧れでもありました。大学に入るときに看護師、理学療法士、体育系、どの進路を選ぶか迷ったのですが、「18~22歳の体力でしかできないことを」と考え、体育大学に進学。看護師や理学療法士は、後からでもなれるかなと思ったんです。
 1~4限が陸上、水泳、バスケットボール、バレーボールといった、トライアスロンをしているような授業を毎日受けていましたね。そんな学生時代、彼氏にとことん振られまして(笑)。かなり依存していたので、「私、全然自分の足で立てていないな」と気づきました。女性でも1人で生きていけるように専門職の資格をもちたいと思い、看護学校に入ることにしたんです。

―そんなきっかけがあったのですね……。ちなみに、体育大学ではどんなスポーツを専攻されていたんでしょうか。

村田さん 
 サークルはセパタクローでした。セパタクローの日本代表選手は、大学1年生で競技を始めて、大学4年生になるまでに選抜される人がとても多いんです。たった4年で何かが起こる、その環境に興味があって入りました。

*「セパ」はマレー語で「蹴る」、「タクロー」はタイ語の「ボール」という意味。ネット越しにボールを蹴り合って得点を競う、バレーボールに似た競技。

―体育大学と比べて、看護学生時代はいかがでしたか。

村田さん
 体育会系のノリの男の子ばかりの環境から、清楚な女の子たちがたくさんいる世界に入ったので戸惑いはありました(笑)。でも、社会人学生が約3分の2を占めていた学校だったので、いろんな経験を積んだ人がいて楽しかったです。違う人生が始まったなと、自分の生き方を見つめ直す機会になりました。

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