この記事は『がんになった外科医 元ちゃんが伝えたかったこと』(西村元一著、照林社、2017年)を再構成したものです。
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 最近少し落ち着いてきたためか、周囲の方から、「昨年3月に根治不能な病気が見つかった段階で、死についてどう考えた?」と聞かれることがあります。

 おそらく「死の受容」云々のことだと思うのですが、当時のことを考えてみると、「実際にはすべきことがたくさんあり、頭の中がいっぱいだった」と言っても過言ではありません。

 それは、病状が病状だっただけにベルトコンベアーの上に乗せられたように、やるべきことが決まっていたためだったのかもしれません。また、治療にはそれなりにリスクは伴うものの、臨床医としての経験上、急なことがなければ「月単位で物事を考えればいい」という考えも頭の片隅にあったのかもしれません。

 そして当然、病態が進めば状況が変わるはずですが、頭の中がいわゆる「死のこと」でいっぱいになったことは、今のところまだありません……。

何から手をつけようか?慌ただしかった診断直後

 さて、当時まず気が気でなかったのは、公私にわたりいろいろな約束をキャンセルしないといけないということでした。

 このまま治療に入ってしまうので近々のことは当然ですが、将来の保証がほとんどない状況では、基本的にすべてキャンセルせざるを得ません。そして、基本的には根治しない病状ということをふまえて、「どこにどのように連絡をするか」まずそればかりを考えながら、自分で動けないため電話をかけたりメールをしたり、場合によっては家内に伝言を頼みました。

 例えば講演依頼にしても、軽く言ってしまうと延期を期待されるので、それなりの事実を伝えざるを得ません。代理を要望されれば探さないといけないので、トータルとしてはけっこう時間がかかったことを思い出します。

 また当然、家族内のことで考えたり、済ませたりしておくべきことも多々ありました。普通に70歳ぐらいまで生きていると考えていただけに、こんなに早く死ぬかもしれないということになると、先送りしていたさまざまなこと、そして自分の死後のことが気にかかります。家内と一緒にできることは2人で考えながら進め、自分たちでできないことに関しては、多くの人に相談しながら「断捨離」も含めていろいろ実施しました。まわりを見渡すと自分しか知らないことも多く(プライベートな口座など(笑))、断捨離をしつつ家内と情報を共有するのも意外に時間がかかりました。

 ということで、根治不能な病気になってもそれなりに忙しく、自分の死についてあれこれ考える余裕は案外ないものです。ただ不謹慎かもしれませんが、そのような意味で、がんは時間的余裕があり、あと始末する時間があることは恵まれているのかもしれません。

思いがけず患者を一喜一憂させる、言葉の力

 このような状況になると、ちょっとした一言をかけてもらったときに、元気なときとは異なる感情が湧くことがあります。

 自分自身も、病気の方の顔を見ると「無理をしないで」「ゆっくり休んで」「あとはみんなでがんばるから安心して」などの言葉をよく使っていましたが、今回、逆に声をかけられる立場になってみると、そのような言葉が「自分の役割がなくなるのではないか?」「自分の居場所がなくなるのではないか?」「自分はもういらないのか?」など、不安感をもたらす可能性があることをときどき実感しています。

 逆に「元気になるまで待っているから」「席を空けておくから」「早く元気になって」などという言葉に、どれだけ勇気づけられたかわかりません。同じ言葉でも受け手の状況によって受け取り方が異なるということを、医療者はしっかりと認識しておく必要があります。

 また、同じように、「ちょっとした何気ない言葉」が気になるのも患者心理です。「元気な間に……」「食べられるときに……」「よくもったね」「想像以上に……」など、普通であれば何気ない一言でも、患者にとっては胸にぐさりと突き刺さる言葉となる可能性があります。

 特に、病状が安定せず少しでも精神的な不安定さがあるときには、ちょっとした一言、場合によっては言葉に限らず周囲の「ちょっとした振る舞い」や「雰囲気の変化」が気になるということを、ぜひ理解しておいてださい。

がんになった外科医 元ちゃんが伝えたかったこと【第10回】がん患者さんのために「場」を作ろう

『がんになった外科医 元ちゃんが伝えたかったこと』

西村元一著
照林社、2017年、定価1,430円(税込)
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