まあ、「忙しいときは質問しないで!」みたいな処世術チックな「質問のしかた」は学んだかもしれません。「今、質問してもよろしいでしょうか」から始める、みたいな礼節も教わったかもしれません。
 
 しかし、それは「質問の方法」そのものではなく、単に形式を教わったにすぎません。上手な質問とは関係のない話です。
 
 皆さんは、小学校に入学してから看護師になるまで、そしてなってからも「上手に質問に答える訓練」をずっと受けてきました。テストで、授業で、入試で、面接で、資格試験で、病棟の申し送りで。皆さんはどうやったら正確な答えを出せるかという訓練を何年も受けており、これについてはプロ級の能力をもっています。
 
 しかし、学校の授業でも病棟でも「どのように質問するか」「どういう質問がよい質問か」についてはほとんど教わらなかったはずです。
 
 答えを出すのはやたら上手なのに、質問をするのが苦手。それがほとんどのナースのあり方だと思います。だから、ロジカルになれないのです。
 
 看護の現場の多くは行動主義的、形式主義的です。行動主義にはいろいろな意味が込められ、またいろいろな流派があるのですが(ここも構造主義~)、看護の世界でいうと、「何をしました」という行いがきちっとできることが大事、という世界観だと思います。行い、形が整うことが大事なので、それは形式主義的でもあります。
 
 質問をする、というのは「形式を疑う」ことでもあります。「なぜ、こういうことをするのか?」と問いを立てるのです。しかし、看護の世界では、

「そういうものだからです」
「昔からそうなっているからです」
「マニュアルに書いてあります」
「教科書にそうなっています」
「看護協会がそう決めたんです」

と即答されます。答えを出すのは上手ですからね。でも、上手な質問者なら、

「そういうものって、どういうものなんだろう」
「昔からやっていることが、これからも通用する根拠はどこにあるのだろう」
「どういう経緯でマニュアルに記載されたのだろう」
「教科書に書かれているようなデータとかエビデンスってあるのだろうか」
「日本の看護協会が言っていることって、海外でも通用するのかしら」

とさらに質問を重ねるでしょう。そう、「重ねる」のが大事だったのですね。
 
 ほとんどのナースはこのような問いを立てません。そもそもそのような訓練を受けたことがありませんし、もしこういう質問ばかりしていたら、「うるさい新人」「頭でっかち」「素直じゃない」「空気読めない」「不思議ちゃん」扱いされてしまうリスク大だからです。あなたは大丈夫ですか?
 
 なので、ほとんどのナースは、そのような質問を自ら放棄して、「わかったこと」「わかったふり」をしてしまいます。そして、本当の意味を考えることなく、行動主義的、形式主義的に毎日を作法通りに過ごすのです。そして、そんなテキパキ口答えせずに言うことを聞く新人ナースのほうが「素直で優秀」と高い評価を先輩ナースから受けちゃったりするんですね。
 
 質問を重ねず、「わかったこと」にして放棄してしまう。言葉を換えると、これは「思考停止」と同義です
 
 行動主義的看護の世界には、批判的な意見も出されるようになっています。しかし、上手に質問を重ねることが悪いこと、という現場のエートス(雰囲気)がはびこっているために、なかなか看護の世界は行動主義、形式主義から脱することができません。難しいですね。

考えるナース【第3回】なぜ、ロジカルに考えられないのか?②質問がうまくできないのはナースだけではない

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