知性とは知識の総量ではなく、わからないことがわかること
しかし、「私はわかりません」とカミングアウトするのは無知の表明ではありません。逆です。わからないことがわかる、というのは知性の証明なんです。これを昔の哲学者ソクラテスは「無知の知」と呼びました。
知性とは知識の総量のことではありません。自分が知っていることと、知らないことの境界線がちゃんと引けることをいいます。自分の知っていることの外側には、自分の知らない世界が広がっていることを認識できることをいいます。
そして、「自分の知らない知識」はどんどん増える一方です。
昭和30年代、1950年代には、医学知識が倍になるには50年かかっていたのだそうです。2020年には、これがなんとたったの73日に縮まるんですって(Densen P, 2011)。2か月ちょっとで情報量が倍になってしまうのです。いくらがんばって勉強しても経験を積んでも、知らないことが増えるスピードのほうが圧倒的に速いんです。21世紀はぼくらが知っていることよりも、知らないことのほうがずっと多い時代なのです。
けれども、悲観することはありません。昔と違って今はインターネットがありますから、わからないことがあれば調べればいいんです。すぐに答えは見つけられます。昔よりはずっと手軽に。しかし、そのネット検索をさせるためには「わからないという自覚」が必要です。自分がわかっていないことがわかっていなければ、能動的な情報検索は発動されないのです。
タコツボの中で自分の専門領域の知識の量を誇っている医者は多いです。自分のわかっていないところが自覚できていない医者たちです。このような「わかっていないことがわかっていない」人を、われわれは「井の中の蛙」と呼びます。いくら頭の回転が速くて、記憶容量が大きくて、たくさん知識があっても、自分の知らないことに自覚的でない医者は単に「やたらでかい井戸に住んでいるカエル」にすぎません。そういう医者ってとても多いんです。ほんとやんなっちゃうな……って、皆さんに愚痴っても仕方ありませんが。
というわけで、医者も自分の「無知の知」に無自覚な人がほとんどで、したがって上手に質問を重ねるのが苦手です。つまり、医者も案外、ロジカルではないんですね。口が達者な人が多いので、そのように勘違いされてることが多いだけなんです(これ、絶対隣の医者に読ませないでくださいね)。
もちろん、医者がロジカルではない、という現実をもって、「ナースだってロジカルじゃなくてもいいやん」という結論にはなりません。「それ」と「これ」とは話が別です。むしろ、医者がロジカルではない(ことが多い)からこそ、ナースは積極的にロジカルに考え、医療現場をよくしていかねばならないんですね。
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岩田健太郎 著
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