この記事は『考えることは力になる』(岩田健太郎著、照林社、2021年)を再構成したものです。
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大学生のときに行った病院実習で見た光景

 これはあちこちで書いたりしゃべったりしていることですが、ぼくは医学部5年生のとき、夏休みに宮城県の某所で1週間病院実習をしたことがあるんです。そう、東日本大震災のときに津波で大打撃を受けた地域です。なんで島根医大の学生が東北まで行ったのかというと、もちろん「東北に行ってみたかったから」という非常に不真面目な理由です。その年から、詳細は忘れましたが、大学外の医療機関でも夏季休暇中の病院実習が制度的に可能になったんです。そのリストに載っていたのがその病院でした。

 ぼくはまあ、1週間病院で見学実習をしたら、週末は仙台あたりで楽しく七夕祭りでも見物しようかなあ、とかる~い気持ちで応募したのでした。彼女いなかったし。

 さて、まさか島根くんだりから学生が実習にやってくるとは想像していなかった東北のその病院。困りました。担当の内科部長はそこでぼくに次のような提案をします。

 「毎日、コメディカルについて回りなさい」

 たぶん、思いつきだったのでしょう。いや、きっと思いつきだったに違いありません。とりあえず毎日いろんな部署をたらい回しにしとけば、世間知らずの学生の面倒をみる、その面倒臭さのリスクを分散できると思ったのでしょう。

 というわけで、ぼくは各部署を毎日たらい回しにされるのですが、この1週間はぼくの医療者人生に一番大きな影響を与えた、忘れがたい実習になったのでした。

 ある日、ぼくは1日中ナースにくっついて回り、その仕事にずっとくっついていました。次の日は1日中薬剤師にくっついて回り、次の日はPT(理学療法士)、さらに臨床検査技師と、毎日院内ローテートで異なる職種の方々にくっついて回る実習を行ったのでした。

 もちろん、各職種がどのような仕事をしているのか、それをじかに体験できたのはとてもよかったと思っています。医学生・医者が他の医療職の仕事を実体験することは驚くほどありませんから。そういう体験はとても貴重でした。

 しかし、それ以上に衝撃的な「学び」がありました。

 というのも、あちこちたらい回しにされていたこの1週間、ぼくはあらゆる医療職からずっと「医者がいかにイケていないダメな存在か」という悪口雑言を聞かされ続けていたからです。こんなに恨まれていたんだ、医者。ぼくは戦慄しました。

 しかも、その医者に対する恨みつらみを抱え込んだ医療者たち(ナース含む)が、実際に医者を目の前にするとじつに従順な下僕のふりをし、不満1つありませんよ、という涼しげな顔をして業務をこなしているのでした。この事実に、ぼくは二重に驚愕したのです。

 まあ、遠い島根の利害関係のない医学生のぼくには、ぶっちゃけトークで文句が言えたのでしょう。ぼく個人にはなんの利害関係もなく、おそらくは生涯ともに仕事をする可能性も、ぼくがそのような恨みつらみ情報を他の医者にリークする可能性もほとんどゼロですから。

 「コメディカルは医者にたくさんの不満をもっている。しかも、それを言えないでいる」という事実。どこに行っても怨嗟(えんさ)の嵐。その怨嗟を抑えこんでの、表面的な従順さ。このような事実を初めて知ったぼくは、世間知らずの医学生の乏しい世間知を総動員して考えました。「なぜ、そうなんだろう」。

「他者の言葉」はこたえる

 ぼくは米国で5年間研修医をやっていました。確かに米国でも医者の権力は他の医療者よりも強く、医療者たちは「モノ申す」ことをはばかる雰囲気ももっていました。しかし、それは典型的な日本の病院よりもずっと緩やかで、病院では多職種たちの活発な議論が行われていました。

 ちなみに、ぼくが初期研修を行った沖縄県立中部病院(OCH)も、日本では例外的に医療職の声がよく通る病院だったと回想しますOCHはハワイ大学と連携して伝統的な米国的医療研修を重ねてきました。というか、沖縄自体、一時米国の領土でしたし。ぼくは病院のヒエラルキーの最下層、インターン(1年目の研修医)として、臨床検査技師に、ナースに、たくさんのお説教をいただき、お叱りを受けました。

 これは東北での学生実習に次いで、大きな学びをいただいた濃密な学習時間でした。「他者の言葉」というのはこたえるのです。とても学びになるのです。だから、ぼくは患者さんから叱られた体験はすべて逐一よく記憶しています。患者さんや家族から叱られることくらいこたえる体験はありませんから。

 日本の伝統的なヒエラルキーでは、各医療職が医者に物申す文化がありません。今でもなにか院内で問題が起きたとき、ぼくは「それは主治医に言ったほうがいいよ」と言いますが、コメディカルは「いや、私の立場から申し上げるのはちょっと……」と口をつぐみます。

 ぼくらは抗菌薬適正使用プログラム「ビッグガン・プロジェクト」を神戸大学で立ち上げましたが、これは臨床検査技師や薬剤師が医者にものを言いにくい文化を反映させ、彼らのデータを医者(感染症内科の医者など)が、代弁して抗菌薬適正化を促す、というプログラムです。日本の「物言えぬ」文化ではとても有効なプログラムですが、そもそもそのような雰囲気があるのが問題でして、将来的には臨床検査技師や薬剤師が医者と丁々発止の議論ができるのが理想的だと思っています。

 ナースは、例外的に医者に「物申す」ことが可能な医療職です。もちろん、そこにはいろいろな制限はあるでしょうが、そうは言っても他の医療職よりはずっと「ぶっちゃけ」トークしやすい。まあ、病棟で一緒にいる時間が長い、という物理的な理由もあるでしょうし、ナースの(定型的な)「準主役的」立場がそうさせているところもあるでしょう。その特権的な立場が、皮肉にも他の医療職がナースに「ものを言いにくい」遠因になっているとぼくは推測します。ま、ナースは医者のように「恨まれては」いないですけど。

 このヒエラルキーを打破する方法があります。それはナースが他の医療者の言葉に耳を傾けることです。相手の言葉をよく聞く人にこそ、人は口を開くものですから。あまり他の医療者とコミュニケーションのなかったあなた、ぜひいろいろ話を聞いてみてください。「そんなの前からやってるわ」というあなた。他のナースにも同じことを勧めてみてはいかがでしょう。

『考えることは力になる ポストコロナを生きるこれからの医療者の思考法』

岩田健太郎 著
照林社、2021年、定価1,430円(税込)
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