倫理理論を課題解決に活用するメソッドを紹介!『大阪市立総合医療センター流 私たちの倫理コンサルテーションメソッド』の試し読み記事をお届けします。
「倫理理論は医療の現場で何の役に立つの?」
倫理理論を課題解決に活用するメソッド
昔、数学の勉強をしていて「微分・積分、サイン・コサインって、日常生活で何の役に立つの?」という不満をよく口にしたものです。倫理理論も学んでいるとだんだん抽象的な議論になってきて、数学と同じように「いつ、どこで使うねん」という思いに駆られることがあります。
一般に「倫理理論」とされているものには、帰結主義、義務論、原則主義、決疑論、共同体主義 、ケア倫理学、徳倫理学などがあり、我々が医療現場で倫理的ジレンマに直面した際にも本質的な知恵や理解を与えてくれます。一方、いろんな理論が横並びに列挙されていても、どの理論をどのような時に用いたらいいのか、具体的にどのように役立たせればいいのか、よくわからないということはないでしょうか。ここでは、これらの理論それぞれの特徴と役割に着目して倫理コンサルテーションで生じるさまざまな問い(課題)の解決に活用するためのメソッドをお伝えします。
なぜ、その行為や選択は正しいといえるの?
倫理原則による正当化
医療を実践する中で直面するさまざまな倫理的ジレンマについて、合理性、一貫性をもって解決を図るためには、「その行為や選択はなぜ正しいといえるのか」、つまり「正当化(justification)」が大切です。倫理学において、こうした「正当化」の問いに応えるために提案されてきた理論としては、行為の結果(帰結)から判断する「帰結主義」(例:ベンサムの功利主義)と、行為の結果にとらわれず特定の義務に基づいて判断する「義務論」(例:カントの義務論)があります。
ただ、実際問題として日ごろのさまざまな選択の「正しさ(ここでいう「正しさ」とは主に行為の正当性すなわち義務論的な「すべきこと」を意味します)」や、「良さ(ここでいう「良さ」とは主に行為の価値すなわち帰結主義的な「望ましいこと」を意味します)」を、帰結主義か義務論かどちらか1つの理論で一元的に考えようとする試みは、哲学的には興味深いのですが現実的には難しく、しかも結局、同じ結論が導き出されることも少なくありません。
そこで、どちらの理論を選択すべきかの議論を避けて併存させる方法が「多元主義」であり、医療界ではビーチャムとチルドレスの「医療倫理学理論」が広く知られています。彼らは「原則主義
(principlism)」(複数の原則をとりだし、それらによって倫理の問題を解決しようとする立場)に基づいて、義務論的原則(「自律を尊重せよ」「危害を加えるな」「公平に扱え」)と功利主義的原則(「利益を最大化せよ」)から成る4つの原則を併用する「医療倫理の4原則」を提唱しました。

どうやって最適な選択肢を選べばいいの?
選択肢を絞り込むための「決疑論」と「ジョンセンの4分割表」の使い方
先述のとおり、複数の選択肢の間での倫理的ジレンマを解決しようとする際に原則主義には限界があり、実際、倫理カンファレンスが行われるのはその限界に直面した結果であることも少なくありません。このように原則主義による「抽象度の高い一般化された原理」を用いようとしても解決困難な事態に直面した際に、問題を解決する方法論の1つとして「決疑論(casuistry)」があります。「決疑論」など聞いたことがないという人も、「ジョンセンの4分割表」はきっとご存じでしょう。
ジョンセンは最も著名な決疑論者の1人で、かの4分割表も決疑論を実践するためのツールとして開発されたものです。決疑論は、「いったん理論から離れて、事例に焦点を当てることでしばしば同意が生まれる」とジョンセンが主張するように、倫理理論から出発して事例に理論を適用しようとする演繹的手法ではなく、具体的なケースの事実から出発してどのような倫理的に重要な特徴が考慮されるべきかを問う手法といえるでしょう。彼らのロジックの詳細は成書をご参照いただくとして、ここでは決疑論を用いて「なすべき行為が簡単には判断できない難しい事例」について解決に結びつける手法を考えてみましょう。
決議論では、まずその事例を取り巻く状況を調べ、その症例に固有な問題を話し合う中で関連のある「格率(maxim)」を考えます(格率とは特定の項目について道徳的に適当なルールのこと)。そのためのツールが「ジョンセンの4分割表」で、臨床上の決定にあたり倫理的側面を評価するために医療者が考慮すべき4つのポイントを示しています。

これら4つの項目を網羅的にふまえたうえで、関連する「格率」を考慮して判断を下すことになっています。ただ、実際の臨床現場での運用を見ていますと、各項目を思いつく限り埋めていき、埋め尽くしてから、ふと「で、どうしたらいいの?」と戸惑っているのをよく目にします。4分割表は倫理的問題を体系的に整理することができ、多面的に状況を把握することで視野が広がるのはいいのですが、論点が散漫になってしまい、とりとめがなくなってしまうという事態に陥りやすくなります。本来はここから格率を見出すためには、治療方針を決めるために必要な情報を共有したうえで、論点を整理しながら、選択肢を絞っていく作業が必要なのですが、その方法論が定着していないので4分割表を持て余しているということはないでしょうか。
このような状況を打開するための第一歩としては、「4つの項目を一挙にすべて埋めていくことを避ける」と、「事実確認と価値判断を同時に行うことを避ける」の2つをお勧めします。五月雨的に4つの項目を埋めていくのではなく順序立てて進めていくのが大事で、まずは「医学的事実」(「医学的適応」よりも「医学的事実」としたほうが事実確認の意図がはっきりして望ましいと思います)に関する情報を集めることに徹します。その際、事実と価値判断が混在しがちになるので、「医学的適応の是非」や「医学的無益性」といった評価(価値判断)はいったん避けるように注意します。こうして医学的事実を踏まえたうえで、「患者の意向」については、患者の病状理解、治療の選択、今後の希望、判断能力の程度などの事実を確認します。「患者の意向を許容できるか」といった価値判断はいったん控えましょう。
続いて「QOL」ですが、カンファレンスを見ていると「QOL」の枠に何を入れればいいのかわかりづらく、4つの項目の中でも QOL の扱いが特に難しいようです。流れに任せるといきなり患者の QOL の評価(価値判断)をすることになりかねません。まずは QOL そのものの判断は避けて、QOL に影響を与えそうな事実(例えば、「治療を行うためには患者の身体拘束が不可欠である」など)を挙げていくことを意識するほうがいいでしょう。ただ、QOL にかかわる医学的事実をピックアップするなら「医学的事実」にまとめたほうがわかりやすく、わざわざQOLを別枠として設置するメリットは乏しいかもしれません。一方、もし患者の QOLそのものを評価するのであれば他の3項目について事実確認を終えたあとの最後に回すことをお勧めします。
「周囲の状況」は、家族の状況やガイドラインや社会制度など雑多な内容を列記することで整理が難しくなりがちです。多角的な視点から事例の具体像を明らかにすることは大切ですが、4分割表のようなフレームだけでは、さまざまな情報が散在して論点が定まらず、さらに事実確認と価値判断が混在すると論拠が不正確になりがちで、議論をまとめていくことは困難です。事実を順序だてて共有し、論点を整理していくプロセスが「格率」を見出すためには必要になります。
意思決定は合理的であればいいの?
患者・家族・医療者の感情や関係性への配慮・共感とケア倫理学
最終的な意思決定において、合理性の追求に偏り、患者・家族・医療者の納得感や信頼感、安心感など感情的な側面への配慮(ケア)が欠け、共感がともなっていなければ、「正しい」はずの選択が誤った選択になってしまいかねません。倫理的判断には、医療者の考える合理性だけでなく、「その人にとって何が大切か」という視点が不可欠です。患者や家族の「安寧・希望・愛情・不安・孤独」などを感じ取る(共感する)ことで、本人の価値観や意思の文脈を理解することが可能になります。例えば、生命維持治療を拒否する患者が「家族に迷惑をかけたくないから」と言うとき、その背景にある思いに共感することで、その選択の意味が見えてきます。
医療上の意思決定は、医療者と患者やその家族との信頼関係を構築することが基盤にあり、治療方針に対する納得感や安心感が高まることで、より適切な医療やケアが実現されやすくなることは誰でも日常的に経験することでしょう。このような視点に立って、倫理的判断や行動の基準を人と人との関係性や相互依存性、そして共感といった感情に重きを置き、特に弱者や脆弱な存在への配慮を重要視する倫理学の一分野がケア倫理学(Ethics of Care)です。医療現場では、患者と医療者の間の信頼関係や家族との協力、コミュニケーションの質が、人間中心のケアや意思決定を支える基盤として注目され、ケア倫理学の考え方が積極的に取り入れられています。
\続きは書籍で/

大阪市立総合医療センター流
私たちの倫理コンサルテーションメソッド
多田羅竜平 編著
B5・152ページ
定価:2,750円(税込)
照林社
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