事例① 治療やリハビリの成果をしっかり活かし、患者さんの希望を叶えるにはどうする?

 がんの終末期患者のケアにて、「家に帰りたい」と希望があり、リハビリテーションもスムーズに進行したのに、帰宅できないまま緩和ケア病院に転院となってしまった例。このときのリハビリテーション室と退院支援担当、医師のコミュニケーションについて検討します。

患者さんの情報

●70歳代後半、男性
●非ホジキンリンパ腫(悪性リンパ腫)
●もともとアパートで独居。介護保険を利用し週2回、ヘルパー(訪問介護員)に買い物や掃除をしてもらっていた。本人は週1回程度、近くの図書館で本を借りて読んだり、知り合いとおしゃべりをするのが楽しみだった。
●自宅で血便が出現し、救急車で来院。病棟ではベッド上〜病室外のトイレの往復で歩き、調子がよければ売店まで歩いて行っていたが、化学療法の開始3日目(1クール目)から倦怠感・吐き気が始まり、2クール目からは脱毛の症状も出現したため、外出意欲が減退した。
●心筋梗塞の既往があり、化学療法の開始に伴い心機能が悪化し、下肢浮腫が著明に。歩行や起居動作もおっくうになりベッド上の生活メインに。自宅に帰りたい旨を、ときおり看護師に話す
●リハビリテーションは1か月以上介入しており、心理面の傾聴をしつつベッド上でのリラクゼーション開始。看護師とリハビリテーションスタッフで協力して、端座位での食事やトイレまでの歩行から訓練を開始。
●高齢であることと、ADL低下を考慮し、抗がん薬治療は継続しない方向性で医師から話があったが、「最後にもう一度がんばりたい」と本人と家族の希望で継続。
治療を変更して抗がん薬治療を実施したところ、一時的に効果がみられ、そのタイミングでリハビリも順調に進んだことから、歩いて買い物にまで行けるようになった
●しかし、退院支援や遠方に住んでいる家族との調整、主治医との相談などのタイミングが合わず、自宅に帰れずにいるうちに治療効果が乏しくなり、再度リンパ腫が増悪。最後の自宅復帰が可能な時期もあったが、その後、ADLもベッド上での生活が中心となってしまい、緩和ケア病院へ転院。自宅に帰れないままとなってしまった。

※事例は、メディッコメンバーの経験に基づいて設定した架空のものです。

たみお

たみお

理学療法士(PT)、11年目。慢性期病院で入院患者のリハビリテーションと、訪問リハビリテーションを担当している。

中野

なかの

看護師として手術室、急性期病棟、ICUでの計8年の臨床経験を経て、現在は大学教員3年目。基礎看護学を担当している。

猫兄貴

ねこあにき

薬剤師、8年目。がん領域で勤務。現在は多職種と治験にかかわっている。

松田

まつだ

臨床工学技士(CE)、18年目。専従医療安全管理者5年目。都内一般病院、急性期病棟・地域包括ケア病棟を有する病院の医療安全管理者。

メディッコメンバーの視点

たみお(理学療法士) 患者さんの生活能力は改善してきているのに、家族やまわりの環境の準備がなかなか整わないことってよくありますよね。理学療法士(PT)としては、動作面で本人の望みを叶えられそうなタイミングで、うまく連携がとれなかったので、もどかしい気持ちだったと思います……。

中野(看護師) 患者さん本人からの「家に戻りたい」「治療もがんばりたい」という想いを聞いていると、看護師としてはどちらも尊重したくなりますよね。医療者からすると治療をしっかりと行って家に帰したいと思ってしまうでしょうが、患者さんの身体がどこまでがんばれるか……。治療法の選択肢が多いと逆にタイミングが難しくなりますよね

猫兄貴(薬剤師) 私が現場で働いているなかで、がんの終末期で難しいなと思うのは、がん自体の影響でADLが悪くなるのが”急である”というところだと思います。

 このケースのように、後半に行う治療がうまく奏功してくれるようなケースはあまり多くはないものの、「よくなったかな」と思ったときに「まだよくなるかも」という楽観的観測と、「今がピークかもしれない」という目を背けたい現実との間で揺れ動くことは珍しくないかなと思います。

松田(臨床工学技士) ケースを見てみると、一時は心理面の意欲の低下も見られていましたが、その後患者さん本人のがんばり、看護師、リハスタッフの努力によりかなり改善されたようにみえます。しかし、最後の段階で一歩足りず……。

 医療安全管理者の立場からみると、このあと本人・家族からの声が「病院がうまく連携していないせいで家に帰れなくなった」という苦情に変わっていく可能性も考えられます。いろいろと似たような経験は、実際にもありますね。