この記事は『不登校・ひきこもりが終わるとき』(照林社)より再構成したものです。
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必要なのは治療や矯正ではなく〝配慮”
では、不登校とひきこもりを、どのように見るべきでしょうか。
不登校やひきこもりといった人たちの悩みについて、多くの方が感じておられることは、心配(「お先真っ暗」「どうなってしまうのか」)、同情(「かわいそう」「苦しみを取り除いてあげたい」)、非難(「わがままだ」「ぜいたくだ」「ひ弱だ」)、などさまざまです。
いずれにしても「何とかしたい」という〝支援欲”や〝コントロール願望”をかきたてられるテーマであることは疑いありません。
しかし、私がこれまでメルマガでお話ししてきたのは、多くの方のそういう感じ方を問い直す内容です。2つの観点からお話しします。
まず第一に「どういうものであり、そのためどういう対応をすべきか」という、不登校やひきこもりへの捉え方から考える対応のあり方です。
私の考えは、「不登校への対応は、妊婦への対応と同じにすべきだ」ということです。無理をさせず、かといって特別扱いせず、さり気なく支え続けることです。不登校やひきこもりに必要なことは、治療でも矯正でもなく「配慮」である、と考えます。
このことは「病気・ケガ」と「妊娠」との違いを思い起こせば理解しやすいと思います。
すなわち、病気やケガの望ましい結末とは、治療を受けて治ることです。イメージとしては「それまで歩んでいた道(健康)から外れてしまったから元の道に戻る」と表現できます。
それに対して妊娠の望ましい結末とは、心身の安定と安全に配慮して生活し、無事出産することです。イメージとしては「それまで歩んでいた道の状態が変わり、妊婦への対応と同じ配慮で接しよう。
注意しながら歩み続けなければならなくなった」と表現できます。道から外れてしまったわけではなく、同じ道を歩み続ける、というイメージです。
では、不登校やひきこもりの場合はどうでしょうか。
一般的には、不登校やひきこもりの望ましい結末とは、治療または矯正のような指導または支援を受けて「治る」「直る」ことと考えられています。イメージとしては、病気・ケガの場合と同じく「それまで歩んでいた道(常識的人生)から外れてしまったから元の道に戻る」と表現できます。
それに対して私は、心の安定に配慮して生活し、無事新しい自分あるいは生き方を生み出すことと考えています。イメージとしては、妊娠の場合と似て「それまで歩んでいた道にトンネルがあったので入ったら、暗くて先が見えないため、不安におびえながらゆっくり歩み続けなければならなくなった」と表現できます。これも道から外れてしまったわけではなく、同じ道を歩み続ける、というイメージです。
先にお話ししたとおり、不登校やひきこもりは、自らの道を歩く本人の歩み以外の何物でもないのです。したがって「道の踏み外し」と捉えて「元のサヤに戻す」と発想していては、本人の真実は見えず、対応や支援は的外れなものとなる可能性が高いと思います。
第二に「そもそもなぜ起きるのか」という、不登校やひきこもりの原因についての考え方です。
一般的によく言われ、信じられているのは「一人っ子だった」「過保護に育った」「わがままに育てられた」などという、家庭環境や子育ての劣悪さ(?)に起因する、という考え方です。
ところが、私が受けている相談にかぎって言えば、不登校やひきこもりの人々に占める一人っ子の割合は、それ以外の人々に占める一人っ子の割合とほとんど違わないか、むしろ少ないくらいです。
また、不登校やひきこもりの人々は、たいていまじめで、かつては活発だったり頑張り屋さんだったりします。過保護あるいはわがままに育てたら、そういう人にはならないでしょう。
それでも「家庭環境や子育てが原因」とする社会通念があるのは、不登校やひきこもりが「道を外れた〝おかしなこと?」と認識されているからではないでしょうか。
すなわち、不登校やひきこもりの人々は、不十分な家庭環境や間違った子育てによって、育っているうちに〝おかしくなって道を外れてしまった”」というわけです。
確かに「登校したいのにできない」とか「社会に出たいのに出られない」などと聞けば、登校することや社会に出ることが当たり前だと思っている大多数の人々は〝彼らはおかしい“としか思えないでしょう。
しかし、この心理が彼らだけの特異なものではないことは「当たり前のことに意識過剰になる」という言葉を使って、前述したとおりです。
ゴルフで「池に入れてはいけない」と念じながら打ったら池に入ってしまう。不眠症で「眠らなければ」と念じるほど目が冴えてしまう。これと、不登校やひきこもりの人たちが「学校・社会に復帰しなければ」と思えば思うほど復帰できなくなることは、まさしく同じ心理です。
いつでもやめられるゴルフでの心理や、眠れないことが問題の不眠症と違い、不登校やひきこもりは、本人の人生全体が否定されるほどの悩みです。言い換えれば不登校やひきこもりは、ゴルフしているときや寝るときに表れる意識過剰が、24時間365日続いているわけです。
以上のことから言えるのは、不登校やひきこもりを特別な目で、あるいは〝上から目線”で見て、対応や支援のことばかり考えるのではなく、自分と同じ人間としての悩みと見て、その軽減を手伝う、という普通の意識と姿勢が必要だ、ということです。
『不登校・ひきこもりが終わるとき』
丸山康彦 著
照林社、2024年、定価 1,870円(税込)
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