事例紹介をもとに、看護介入をナラティブに伝えます。今回は臨床がなかなか進まなかった患者さんの事例をめぐるQ&Aを紹介します。
今回の事例:【第5回】離床が進まない患者への看護介入
〈目次〉
この事例を紹介した理由は?
離床機会の予感とは具体的に?
話をしたときの、Aさんへのアセスメントは?
踏み込んだ提案をしたのはなぜ?
リスクをコントロールするアイデアは?
事例をめぐるQ&A
この事例を紹介した理由は?
宇都宮 事例を拝読し、スタッフの皆さんで進めたかかわりが、とてもよいと感じられました。齋藤さんがこの事例を特に選ばれた理由は何でしょうか?
斎藤 いくつか印象深いことがあったからです。まさに、「病気を診て ・ 患者さんを看る」ということの重要性に関連したことでしょうか。
まず、患者さんの病態や治療をモニタリングし、奏功の度合いや今後の推移を予測しながら、そのなかで“より状態を好転できるターニングポイント”を見出しながら、ケアを計画できたことです。これはクリティカルケアに特徴的で、短い治療時間軸のなかで、より緻密で迅速かつ的確なケアをタイムリーに考え、EBMを包含しながら実践していく部分です。
しかし、それだけでは“本当の意味での最善な臨床実践”と断言できない部分があると思います。特にEBMでは量的に示されるデータが先行しやすいわけですが、患者さんが回復していく過程においては、質的な部分も大きく、軽視できません。
まさに“その人の人生”という物語のなかで治療が行われており、その文脈をナラティブに引き出したり察知したりして、計画されたケアといかに融合できるかが伴となるでしょう。これは、患者さんの痛みや興奮をみていくうえでとても大切だと感じています。
そして、それらのケアを受けていくことの意味づけを、同時に患者さんにしていきます。これは、“状況理解を促進する”“障害の受け入れを支援する”という意味合いもあります。
何より一番印象深かったことは、このような成功体験をすると本当に臨床は変わると感じたことです。量的に示すデータに即して行動を変容させたり、ケアを変化させたりしていくことももちろん重要です。 しかし、本当の意味で患者さんのアウトカムを変え、なおかつ臨床現場も変えることを改めて学びました。
離床機会の予感とは具体的に?
宇都宮 “何となくの予感”を覚えたという表現がありましたが、これは具体的にはどのような感覚でしたか?
斎藤 これは“直感的”に感じたというよりも、“経過の中から”感じとっていたというところでしょうか。特に、炎症データの推移、それと血液ガス分析データの推移と患者さんの主訴を、数日間の比較の中からみていたと思います。連日、類似場面での血液ガス分析データは「pH7.45」「PO290mmHg」「PCO240mmHg」(FⅠO2 0.4)程度で推移していましたが、日によっては苦しさを訴えたり、落ち着きがなかったり、呼吸回数の増減はまちまちでした。
しかしこの日に限ってそういうことはなく、夜はよく休まれており、食事中もその後のセルフケア時も、苦しさが出現しないよう自分でペースコントロールしながら行えていました。
SpO2は多少、一時的に労作性に低下していたのですが、その日は呼吸を整え(息を急ごうとする行動を調整しながら)、苦しさの表出がありませんでした。
加えて、「髭剃り後のシェーバー」「おしぼり」「食べ終わった食膳」が整理されて置かれていたことから、“生きる活力”を察知しました。人が何かに苦しみつらかったり、病状が重症化すればするほど、こういった行動は乱雑化したりするものです。 もちろん、これらは科学的にも合致点はありますが、データなどだけでなく、患者さんの過ごしている治療環境や言動などの経過を鑑みながら、全体的に見出していたと思います。
話をしたときの、Aさんへのアセスメントは?
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