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おさえておきたいこと

「スティグマ」という概念の特徴
●「何がスティグマか」は絶対的なものではなく、社会的背景によって変わる
● 医療者から見える“非合理的な行動”は、 スティグマを背負う人にとって自分を保つための“プライドを賭けた行動”である

単なる身体疾患・精神疾患が、社会的背景によって「隠さなければいけないスティグマ」になる

 生活保護を受けている人々や精神疾患、糖尿病を患う人々、そして世界中で大流行したCOVID-19の患者などに対し、社会は「働かずにお金を受け取っているずるい人」「自己管理ができていない人間」「外出自粛を破って出かけた“不届き者”」というようなレッテル貼りをします。こうした、その人を貶めるようなレッテルスティグマと呼びます。

 スティグマは、アーヴィング・ゴッフマンという社会学者が1963年に出版した『スティグマの社会学』という本で呈示したものが有名です¹。

 ただ、もともと日常会話でも使われていた言葉でもあり、社会サービスの利用者が、自分の依存状態に当惑し、恥辱(ちじょく)を感じるとき、その感情を表現するのに用いられていたようです²。
  ゴッフマンの議論の特徴は、第1に、「ある状態がスティグマを伴う」というより、「何がスティグマとなるかは社会的な状況によるもの」ととらえ返したところにあります(図1)。

図1 スティグマのとらえ方
図1 スティグマのとらえ方

 前述の生活保護や精神疾患、糖尿病、COVID-19などがスティグマとなりうることがよく知られていますが、それ自体にはスティグマとなる要素があるわけではなく、特定の社会的背景ゆえにスティグマとなっています

 例えば、糖尿病はそれ自体としては単なる身体疾患であり、罹患することは不幸な偶然でしかありません。しかし、生活習慣病の代表格のように知られてしまうと、糖尿病にかかっているということそれ自体が、当人の責任であるかのようにみなされてしまうことがあります。

 また、COVID-19に罹患してしまうことは世界中どこでも避けがたい事態ですが、自主的な行動規制を求める社会的な空気が強いと、当人は「隠さなくてはならない」と感じるかもしれません。

 生活保護などの社会サービスや精神疾患は昔からスティグマとなりがちでしたが、変化もみられます。
 例えば、1980年代にはお年寄りの介護のためにヘルパーなどを頼むことは、家族にとって「ご近所に隠さなくてはならないこと」でしたが、今日ではそう感じる人は少ないでしょう。

 また、1990年代ごろから、うつ病は「過労の病」といわれるようになり、特殊な疾患ではないとみなされるようになりました。ただし、2010年ごろから「新型うつ病」(医学的には無根拠)という表現が生まれ、新たなスティグマが生み出されてもいます³。

人々は自分を守るため、 疾患や貧困状態を他者に隠し、 不信感をもつ

 第2に、ゴッフマンのスティグマという概念がもっていたもう1つの重要な含意は、当事者がスティグマを回避するためにさまざまな行為を行うことをあきらかにした点にあります。

 例えば、一般的に考えれば、職場では自身の心身の状態をある程度明確に周囲に伝えておいたほうが、本人にも負担が少なく、周囲にとっても被るかもしれない迷惑を最小化できるはずです。しかしスティグマを伴う疾患の場合、なかなかそうはいきません。精神疾患をオープンにできる職場は少ないのではないでしょうか。

 また糖尿病であることを隠すために、飲み会で勧められるままに飲酒したり、食事を断れなかったりする人は多いです。

 自分自身に対して、必死で否認する人もいます。精神疾患の薬を継続的に飲むことをスティグマと感じて、自己判断で断薬することで、体調を悪化させる人は少なくありません。COVID-19に罹患した可能性があると思っていても、調べることを恐れる人もいます。

 自身の身体のためにも、周囲のためにもならないそれらの行動は、医療者からすれば非合理的です。しかし、本人からすれば、自分の体面を保つための必死の行動であり、ときになけなしのプライドを賭けた行動でもあるのです。

 そして、さまざまな事情からスティグマを回避しきれなかったとき、スティグマを突き付けてくる(と本人が感じた)他者に対する、強い抵抗感や不信感が芽生えることもあります。
 ある生活保護受給者は、病院に入院したとき、看護師たちがモニターを見ながらその人が生活保護受給者であることを確認しているかのようなしぐさをしているのを見て(本人も認めるとおり、それは誤解かもしれないのですが)、「『なんだこの野郎』という「ひがみ根性的なものが芽生えるんですよね」⁴と言います。

おさえておきたいこと

スティグマを背負う人々に対して考えたい、医療者の対応
●患者の“非合理的・理不尽な行動”に対し、 医療者ははじめから変更を求めるのではなく、 その行動を認めることから支援・ケアをはじめる

医療者は、 患者にとって「助けてくれる人」であり、 スティグマを隠せない存在でもある

 医療者は、本来的には、患者からすれば「助けてくれる人」です。しかし、それだけにしばしば、「スティグマを隠せない相手」でもあります。「助けてくれる人」なのに強い抵抗感や不信感を示してくる患者がいるのは、理不尽にも見えますが、本人たちの心情を考えれば、じつは自然なことでもあるのです。

 このようなスティグマの議論が私たちに教えてくれるのは、1つには繰り返しますがスティグマが社会のありように規定されたものであるということです。それらを脱スティグマ化していくためには何が必要か、まだまだ考えるべき課題は多くあります。

 そしてもう1つ教えてくれるのは、スティグマを背負わされた人たちの心理や、採用せざるを得ない行動様式です。非合理的で理不尽に見えたとしても、本人からすれば他にやりようがなかったのだともいえます。
 どうすべきかをさとすよりも前に、そのことをまず認めるところから、支援やケアは始まるのかもしれません。

1.Goffman Erving:Stigma: Notes on the management of spoiled identity.Prentice-Hall,Hoboken,1963.(石黒毅訳:スティグマの社会学―烙印を押されたアイデンティティ.せりか書房,東京,1970.)
2.Paul Spicker:Stigma and Social Welfare.Croom Helm,Kent,1984.(西尾祐吾訳:スティグマと社会福祉.誠信書房,東京,1987:4.)
3.北中淳子:うつの医療人類学.日本評論社,東京,2014.
4.山田壮志郎:生活保護とスティグマ・再考―ホームレス経験のある受給者へのインタビュー調査から―.日本福祉大学社会福祉論集 2021;143,144:133-157

この記事は『エキスパートナース』2021年12月号の記事を再構成したものです。
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