石川県立看護大学の支援チームが独自に始めた取り組み
2024年5月、山口県下関市で開催された第33回日本創傷・オストミー・失禁管理学会で壇上に立った真田弘美・石川県立看護大学学長は、「元旦早々に能登半島を直撃した震度5強の地震で被災された方々の褥瘡ケアにおいてご支援いただいた、当学会に所属するWOCナースや褥瘡の専門家・研究者、企業の方々、そして学会員の皆様に心より感謝します」と言って深々と頭を下げられました。
発災直後、石川県立看護大学では危機管理本部を設置し、学生の安否確認体制を整備するとともに、学習継続や看護師国家試験受験のための綿密な体制づくりに取り組む一方で、被災地に最も近い看護大学として被災地支援を積極的に行っていく方針を固めました。
具体的には、災害対策本部を置いて、①能登地域の看護高等学校教育支援部会、②避難所支援部会、③褥瘡ケア支援部会の3部会で取り組みを開始しました。ここでは、主に被災地の褥瘡ケア支援について紹介します。
生活不活発病である“褥瘡”は深刻な問題になるはず!
地震発生直後の安否確認や復興支援への取り組みが徐々に進む中で、真田学長が思ったのは、「東日本大震災で急性期を脱した被災者が直面した生活不活発病である“褥瘡”が、必ず今回も被災者を苦しめるはず。特に、高齢者の多い能登地方ならではの深刻な問題になる」という危機感だったと言います。
そして、石川県看護協会長・小藤幹恵氏と連携し、褥瘡発生が予測されたり、発生したときは、すぐにでも対応できるような体制を考えていたと言います。
真田学長の予想通り、2月に入ると県から、輪島市内にある3か所の高齢者施設において深刻な褥瘡発生があるという連絡が来ました。地震直後の停電によりエアマットレスが使えなくなり、褥瘡が発生・悪化しているという報告でした。同日、石川県看護協会の小藤会長から被災地の褥瘡ケアにおける相談・対応についての依頼がきました。同じタイミングで日本医師会災害支援チーム(JMAT)からも連携の依頼がきました。それを受けて、大学内に能登半島地震対策部会を設置しました。
真田学長は、「日本創傷・オストミー・失禁管理学会や日本褥瘡学会から事業・研究支援金もいただき、その他、企業の方々の現物給付、そして暖かい励ましのメールにどれだけ救われたことでしょう」と言います。さらに、「明日から使うフィルム材やドレッシング材がなかったため、ある企業に電話でお願いしたところ、その日の夜9時ごろ東京から新幹線で大学まで届けてくださいました。その優しさに涙が止まりませんでした。これまで学会や企業と信頼関係を築けていたからこそ、このような迅速な連携が生まれたのではないでしょうか」と振り返ります。
毎日被災地に通い、褥瘡ケアを継続
数日後、A特養(入所85名、ショート20名)、B特養(入所80名、ショート20名、デイ40名)、Cグループホーム(入居者と避難者30名)の3か所に、紺家千津子教授、峰松健夫教授、松本勝准教授(当時)、石井光子特任講師らが、必要物資を積んで車で現地視察に入りました。その後、これらの3施設への支援をJMATとともに行いました。紺家教授が中心となり1チーム3人、3日で1クールの体制で毎日被災地に通い、褥瘡ケアを継続しました。県外メンバーは、日本創傷・オストミー・失禁管理学会に呼びかけて参集したWOCNが3泊4日交替で現地入りしました。
当初、被災地の施設ではJMATの支援を拒むような状況もあったようですが、関係性は徐々に良好になり、さらに同大学が支援に入ったことで石川のメンバーが支援に来てくれたことを喜ばれ、被災地の人たちとの関係性はいっそうよくなったといいます。
褥瘡による災害関連死を防ぐことにつながった
こうした褥瘡介入により、20人の褥瘡患者が3名に減るなどの実績が上がったと言います。褥瘡深達度はD3、D4、深部損傷褥瘡(DTI)疑いなども多く、WOCNならでは専門性が生かされました。「専門家が入ることで治癒が早まるということを、関係者は実感されたと思います。住民の方や施設の職員の方々に安心感が生まれ、褥瘡による災害関連死を防ぐことにつながったのです」と真田学長は言います。
JMATの医師には、日常業務の中で褥瘡管理を実践していない人も多く、外用薬や創傷被覆材の選択や効果的なスキンケアの方法をWOCNに相談してくる方も多かったと言います。若手の医師や看護師からは、「褥瘡で注意することは何か教えてほしい」と積極的に意見を求める人も多くいました。
2次避難所や1.5次避難所への生活支援
同大学では、能登半島地区だけでなく、金沢市の2次避難所や1.5次避難所への支援も行いました。看護系教員・人間科学系教員が結成した避難所支援チームが、輪島市内から避難されている被災者の方々の生活支援を行いました。具体的には被災者の健康観察や服薬管理、そして、今後の生活不安などへの対応です。
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石川県立看護大学は能登半島の付け根に位置し、輪島市などの能登半島の町に通じる街道「のと里山海道」の傍らの高台にあります。避難所ではありませんでしたが、発災時には、近隣の住民の方々が津波を心配して避難して来られました。近くの官舎にいた真田学長は急遽大学に駆けつけ、住民の方々に安心していただくため、閉館していた門を開き対応を行ったといいます。確かに、地域の看護大学には、住民の健康・福祉や安全に貢献する役割があるでしょう。しかし、被害は少なくても自らの大学も被災した状況下で、学生の安全確保や学習機会の維持だけでなく、住民支援までを積極的に行うのは「言うは易し行うは難し」のようにも思われます。
被災地の褥瘡ケア支援も含めた石川県立看護大学の危機時でのこうした対応は、「そのとき何が“正しく”、何が“最善”であるか」を最優先した高い理念に裏打ちされたものであるように思えてなりません。
このレポートはエキスパートナース2024年8月号(7月20日発売予定)にて掲載予定です。