今年5月に発売した『今だからこそ知りたい 臨床で倫理的問題にどう向き合うか』(ウィリアムソン彰子 編・神戸大学医学部附属病院看護部 著、照林社)は、日ごろの看護業務や、多職種とのやりとりで感じる「これでいいのだろうか?」というモヤモヤの本質である倫理的問題を考える1冊です。今回は、特別に試し読み記事を全3回でお届けします。
第3回目は臨床での事例をもとにした、「倫理カンファレンスの流れ」を解説した一部をご紹介します。書籍の試し読みはこちらからどうぞ。
病気を告げる場面での倫理的調整
医師が「患者に病気を告げる」とき、倫理的問題が生じやすいことは、みなさんも臨床で実感していることと思います。患者は病名を知りたいのに家族が「伝えてほしくない」と言う場面や、認知機能低下のある患者ではなく家族のみに説明する場面など、さまざまです。
ここで取り上げるのは、家族は「本人に病名を伝えてほしくない」し、本人も「知りたくない」という事例です。一見、倫理的問題はなさそうにみえますが、本人の知りたくない権利と家族への対応について考える目的で話し合いをもちました。
患者の情報
70歳代、男性、長女と2人暮らしのAさん(妻は7年前に他界)。長男は他県に居住。前頭部の硬結が出現したため受診。検査の結果、頭部血管肉腫と診断された。
これまでの経過
長男と長女は、妻を看取るときにAさんがうつ状態となったことから、本人に病名を伝えないことを希望。Aさん自身も「怖い話は聞きたくない。治療は受けるつもり」と話していた。主治医は、Aさんには病名を伝えず、CRT(chemoradiation therapy:化学放射線療法)の提案と副作用だけを説明。長男と長女には「血管肉腫であること」「再発・転移が多く根治は難しいこと」「治療は進行抑制が目標となること」「いずれは進行する可能性が高いこと」が伝えられた。その後、Aさんは治療のために入院。担当看護師はインフォームドコンセントの内容に疑問を抱き、病棟での対応を話し合うことにした。
倫理カンファレンス参加者
リーダー看護師、担当看護師、主治医、外来看護師、中堅看護師
★倫理カンファレンスはリーダー看護師から提案
★退院後も継続的なかかわりができるようにするために外来看護師にも参加してもらうことに
★入院日に通常のカンファレンスとして実施
倫理カンファレンス参加者の意見
リーダー看護師「Aさんへの病状説明について意見交換したいと思います。長女はなぜ「病名は伝えないでほしい」のでしょうか?」
担当看護師「Aさんは7年前に妻を看取った際、うつ状態になったそうです。長女は「病名を知ると治療を受ける気力がなくなる」と思っており、Aさん自身も「怖い話は聞きたくない」と言っています」
中堅看護師「過去の経験が影響しているのですね。でも、予後の見通しを伝えずに治療を進めて、Aさんは後悔しないでしょうか。すべての情報を伝えたうえで意思決定してもらわなくてよいのでしょうか」
外来看護師「病名告知していないので、踏み込んだ話がしにくいです。また、信頼関係が構築されていないなかで、どこまでAさんの思いを聞くか悩みました」
主治医「Aさん自身が病名告知を希望していないので、「性質のよくないデキモノ」と説明しましたが、それ以上の質問はありませんでした。治療は希望しているので、治療内容と副作用は伝えています。説明書類に病名は書かれていませんが、「抗がん剤を使用する」と伝えても、特に反応はありませんでした」
リーダー看護師「Aさんは、その説明書類をご覧になっているのですね」
担当看護師「Aさんは病名を察していて、今後、看護師に尋ねてくるかもしれません。対応をチームで共有しておくべきかと思います」
リーダー看護師「そうですね。ご家族とも今後の相談をしておきたいですね」
事例の論点を整理する
この事例において大切なのは、「本人の知りたくない権利」と「家族の伝えないでほしい気持ち」にどのように対応するか、ということです。この2 つに関して倫理原則による分析を行うために、臨床倫理4分割表に基づいて情報整理をしました。
医学的適応
診断と予後
- 頭部血管肉腫で根治は困難。治療目標は進行の抑制。今後進行することが予想される
医学の効用とリスク
- CRTの副作用は説明済み
- 出血などのリスクがあり、早急な治療開始が必要
患者の意向
患者の判断能力
- 説明された病状についての理解・認識はあり、意思決定能力はある
事前の意思決定
- 怖いことは聞きたくない
- 7年前に妻を看取ったときはうつ状態になった
- 治療(CRT)は受けたいし、副作用は聞きたい
QOL
- 病名を伝えなければ、以前のようにうつ状態になることは避けられるかもしれない
- 病名を伝えないと、隠しごとをしながら生活する家族の心理的な負担が生じる可能性がある
- 病名を伝えないことで本人の知りたくない権利は守られている
周囲の状況
家族
- 本人には病名を伝えずに説明してほしい
- 妻を看取ったときのようなうつ状態にならないか心配
医療者間に問題はないか
- 中堅看護師・担当看護師:すべての情報を得ずに治療して本人は後悔しないか
- 主治医:出血などのリスクを防ぐために治療は必要。病名は伝えていないが、抗がん剤を使うことと副作用の説明は行っている
倫理的に考えるためのヒント
患者の「知りたくない権利」も尊重する
患者の権利に関するリスボン宣言1では、自分に関する情報を知る権利と同様に、「患者は、他人の生命の保護に必要とされていない場合に限り、その明確な要求に基づき情報を知らされない権利を有する」と述べられています。
つまり、自律尊重の原則に基づくと、Aさんの「怖いことは知らないでおきたい」という選択を支えるのが最善となります。
一方、担当看護師は「インフォームドコンセントとは病名や治療目標、今後の見通しなどを伝えたうえで本人がどうしたいかを考えること」だと考えているため、病名すら知らされていない状況では十分なインフォームドコンセントが取れていると思えずにいます。再発したときのショックは非常に大きいため、根治は難しいと知らせることが「善行の原則」に則った対応だと考えているわけです。
しかし、本人の知りたくない権利が守られないことは「無害の原則」に反します。
つまり、本事例では自律尊重の原則と善行(無害)の原則が対立しており、看護師がジレンマに陥っている状況だ、と理解できます。
家族の「伝えないでほしい」という気持ちについて考える
家族は、Aさんが妻を看取ったときのようにうつ状態となるのが心配で「告知をしないこと」を希望しています。
病名告知に家族が反対する場合、家族自身の気持ちが追いついておらず、自分の不安を患者に投影している場合がある2ことに注意が必要です。
本事例に当てはめて考えてみると、長女はAさんと同居しています。そのことから長女は、Aさんのことを思いやると同時に、長女自身もショックを受けていると考えられます。この点については、今後、情報収集を行って対応していく必要があります。
第1回 倫理的問題は身近なところにある
第2回 病気を告げる場面での倫理的調整
つづきは書籍で!
今だからこそ知りたい 臨床で倫理的問題にどう向き合うか
ウィリアムソン彰子 編、神戸大学医学部附属病院看護部 著
B5・128ページ・定価 2,420円(税込)
照林社
- 1.日本医師会:患者の権利に関するWMAリスボン宣言.
https://www.med.or.jp/doctor/international/wma/lisbon.html(2024.4.24アクセス).
2.森田達也,田代志門:臨床倫理のもやもやを解きほぐす緩和ケア×生命倫理×社会学.医学書院,東京,2023:6.