日常から切り離されつつある「死」

 自分がはじめて「死」というものを意識したのは、小学校1年か2年のころでした。父方の祖母が自宅で亡くなり、葬儀のあと火葬場の煙突から出る煙を見上げていたときに、母親から「おばあちゃんは空に昇っていって、ずっと元一のことを見ているからいい子にしとらないかんよ!」と言われ、「死んだら煙になって空に行くんだ!」と思ったのが最初でした。

 その後は自分自身が死の恐怖に襲われた経験がないということもあり、周囲の人の死に触れたり、テレビなどメディアで死というものを取り上げたとしても、別段〈死後の世界〉について考えることはありませんでした。医師という職業柄、人間の死に近いところにいながらも、ある意味で他人事としてとらえていたような気がします。

 また、最近は再生医療が大流行であり、その他の分野でも医療の発展は目覚ましいため、テレビや雑誌を見ていると「もしかして人間は死なないのではないか?」と思わせるような時代になりつつあります。その一方で、原因はさまざまですが人間が必ず死ぬのは間違いのないことです。それを考えると、結果としてそのギャップがだんだんと広がってきているように感じます。

 昔は家で祖母や祖父が寝たきりになり、そして亡くなるのを目の当たりにしてきたので、死というものが身近に感じられました。しかしそういう自分たちの世代でさえ、その後の親やその他の知り合いなどの死はほとんどが病院で迎えており、やがてそれが普通と思えるようになってきました。すなわちいつの間にか死というものが日常から切り離され、非日常化されてきたのは間違いないところだと思います。

「人生に終わりがあること」の再認識

 じつは自分自身も病気が見つかるまでは、真剣に死というものを考えたことはありませんでした。しかし、今回根治不能な胃がんが見つかり「何もしなければ予後半年」という告知を受けると、さすがに死というものを意識せざるを得ません。

 よく考えてみると、死を意識したというよりも、まずは人生に終わりがあるということを再認識し、それまでをどう生きるか?ということに気持ちが向いたというのが実際のところです。もしかしたら自然と死というものから目を背けているのかもしれませんが……。

 おそらく病気が進行し、治療の効果が得られないようになった段階で、きっと死というものを本当に意識し始めるものと思います。他人の死に立ち会ったり、見たりしたことはありますが、自分の死は1回限りであり、当然ながら見ることはあり得ません。多分、わからないからこそ不安が募るのでしょう。

 今までよりは若干死に近づいたこともあり、臨死体験や死後の世界を描いた書籍が目につくようになりました。答えがないからなのか、タブー視されているのか、興味本位のものと「ごちゃ混ぜ」にされているのかわかりませんが、それらが大きく取り上げられることはありません。

 しかし今後、高齢社会を迎えるにあたり、本当に、施設を含めた広い意味での「在宅」で亡くなる方が多くなるとすると、早いうちに何らかの形で「死の教育」を地域住民(特に子どもたち)にしていかないと、大変なことになるのではないでしょうか。

「夢うつつ」の歩みに思う

 さて話を少し戻しますが、がんとなって、人生に限り、終わりがあると再認識していろいろなことを考えていくと、時々、それが現実なのか夢なのかわからなくなることがあります。

 特に夜、うつらうつらとしてしまい浅い眠りに入り、そして覚めたとき、今が本当の「今」なのか、もしかして夢の中なのかわからなくなってしまう経験が度々あります。また、傷の痛みが強く、術後早期より2mgのフェントステープを使用しているためか、もしくはヘモグロビンが11g/dLとずっと貧血を認めているためかわかりませんが、ちょっと外出しようと不意に立って歩こうとしたときにフワッという感じになり、気分的にも宇宙遊泳とまではいかないものの足元が非常に軽く感じてしまい、何だか自分がどこにいるのかわからないような気がする……ということもあります。

 現実には死後の世界に足を踏み入れたことがないので、実際のところはわかりませんが、もしかしたらそんな感じの延長線上にあるのかな?と思ったりすることがあります。

 そのときの病状にもよると思いますが、自分自身も、そして見送ってくれる人にも少しでも楽に感じる状態で死を迎えたいと願うのは、僕だけではないと思います。

がんになった外科医 元ちゃんが伝えたかったこと【第17回】自分の役割、そして使命

この記事は『がんになった外科医 元ちゃんが伝えたかったこと』(西村元一著、照林社、2017年)を再構成したものです。
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