急性期病院一筋で働いてきたWOCナースが、40歳を目前にして訪問看護に挑戦!在宅におけるWOCナースの役割、実際求められることとは?リアルな体験記をお届けします。
まわりの人たちに支えられて、今がある
私が在宅にきて思うこと……。「なんて自分は“ちっぽけ”だったんだ」ということですね(笑)。前回までの4回にわたって、経験をさせていただいたいろいろなことを書きましたが、在宅というフィールドは本当に広い!!「ここまでやったら終わり」という区切りがわかりにくい。やりつくせない(笑)。
もし過去に戻れるのだったら「私はWOCだぞー」と(勝手に)鳴り物入りで行くような行為は殴ってでも止められたらと思うのですが、時間は巻き戻せないので、あの勘違い状態から、よくぞここまで楽しめるようになれたなと思います。
本当に私1人の力ではないです。私のまわりにいるあらゆる人たちに支えられて、成長し、今こうして自分のやりたいことに打ち込めているのです。
「みんな、ありがとう!」。まずは感謝を述べたかった。最後なので(笑)。
白黒つかない“グレー”の状態を受け入れる
さて本題に入りますが、WOCナースが必要なときって、その人が困っているときだけなんですよね。その人の人生で考えるとほんのひととき。
だからWOCナースとして、症例をみてバンバン治していきたい人は、そのまま病院にいたほうが幸せだと思います。思っているほど、在宅でWOC領域をバンバンみていくことはできません。それは、在宅で需要がないということではなく、在宅だと限界がある(治せない)ということです。
私がWOCナースを選んだのは、白黒がわかりやすいからです。自分の行ったことで傷がよくなったり、悪くなったり、結果がすぐわかるので、性に合っているんです。治れば感謝されるし、治らなければ怒られる。
私が病院でいたときは、治すことだけが正義でした。病院は“治療の場”なので、これはまったく間違っていないと思います。
でも、在宅にきたら治せない場合があるんです。毎日洗っているのに、治りきらない。悪くならないけど、よくもならない。手術できたらなーとか、あの薬使えたらなーとか、あの先生がいてくれたらぁぁ……。寝ようとしているときにもいろいろ湧いてくるけど、かなわない……。
だって求められているケアじゃないんだもん。なので、在宅を始めた当初はこのグレーな感じが受け入れ難かった。
あとびっくりするのが、治してしまうと訪問の必要がなくなるので、売り上げは下がるんです!こんなにがんばって、よいことをしているのに(笑)。“創傷治癒やったねボーナス”はありません。
だから、治せない傷の訪問を毎日だらだらとしていたほうが儲けになるんです。不思議じゃないですか?
「治らない」。あせる気持ちでカルテを振り返ると…
でも前述したように、在宅では限界がある場合もあって、やはり“療養の場”で治療をめざすことは難しいです。
例を挙げると、仙骨部のポケット褥瘡で悩んでいる80代の女性がいました。キーパーソンのご家族から「何とか治してください」と伝えられたので、治すことに一生懸命になっていました。
ですが、ポケット褥瘡はなかなか治らない。仙骨部だから、おむつの環境が傷にも影響して、よい部分は治ってきても、ポケットはなかなか小さくならない。1か月経ち、2か月経ち……やはりポケットが縮小せずに、出口だけがドンドン小さくなってくる状態に。
「ヤバい、これは切開しないと治らない」と思いながら、日々ケアに当たっていましたが、現場スタッフからも「森本さん、治らないんですけどー。このままでいいんですかー?」なんていう声も聞こえてきました。「まずい。治すためには、ポケットを切開しないといけないけど、在宅医の先生はそこまでは行えない感じ。このままだと希望に沿えない。自分の専門分野なのに、こんなことあるの?せっかく頼りにしてくれているのに、絶好球でホームラン打てない専門家なんている?恥ずかしい。病院だとやりようがあるけど、どうしよ、どうしよ……」。
そんな真っ暗な現状を打開するために、カルテを振り返っていたときでした。……あれ?この考えは利用者ファーストになってる?この現状はどこに向いている?
そのとき、パァーと光が差しました。「本人さんがどうしたいか確認しよう!」
求められたのは、気持ちを聴いてくれる看護師
これを読んでいる方は「当たり前やん」と思われると思うのですが、このときの私は頭が混沌としていて「別に管理できてないわけじゃないからいいや」と自分に都合のよい解釈で納得しようとしていました。
迷ったときは、利用者ファースト!あたりまえですが、大切な私の羅針盤です。気持ちを改めてすぐに本人とご家族と調整を行い確認したところ、本人は「このままがいい……。入院はもうイヤ」とはっきりおっしゃいました。そしてご家族は「本人の思いに合わせます」と言われました。
この言葉を聞いて私は、「なんて自分よがりな処置を続けてしまったのだろう」と思いました。この人が必要としていたのは、専門家よりも声を聴いてくれる看護師でした。それから亡くなるまで入院されることなくご自宅で過ごすことができました。
結局、褥瘡は治りませんでしたが、私は最期までこの人にかかわることができました。
人生の伴走者として、チームプレーで柔軟にポジティブに対応
このお話は、WOC目線でいうと負けた気がしませんか?
でも、ご家族や私は満足しています。それはやはり、本人の希望をかなえられたから。何のために在宅を選択されているのかって大事だなぁと思います。
それに人間のできることって限られていますよね。所詮、私のできることって治りたがっている傷しか治せないなぁと思います。慢心は足元をすくわれますし、転んだときに謙虚じゃない人なんて誰も助けてくれません。
想像してください。自分がしんどい人生最期のときに自己中なWOCナースなんか要らないでしょ?(笑)。個の突破力はもちろん大切ですが、在宅にきて思うことは、よりよいチームプレーです。その人を支えるのに、1人の力では支えきれません。
訪問看護師は、その人の人生の伴走者。
次々に在宅で起こる事件に対し、
そのつどそのつど、柔軟にポジティブに対応していく。
なので、私たちは成長を続けないといけません。
自分たちだけができるケアが至高の一手ではなく、
本人・家族、そのまわりの人たちが生活できる方法を
あれこれ提案するのが、“在宅ケア”の醍醐味だと思います。
面倒くさいですよね?でももし、こういったお話が面白いなぁ~と感じてくれた人は、ぜひ、一度私とお話しませんか?(笑)
終わりです。

(最終回)
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