カンファレンスなど、集団の話し合いが非合理な結論になる理由や具体例を紹介。『大阪市立総合医療センター流 私たちの倫理コンサルテーションメソッド』の試し読み記事をお届けします。

カンファレンスの不都合な真実

 「さまざまな関係者が集まって話し合うことは1人で判断するより誤りが少なく、賢明な判断ができるに違いない」という前提に立ち、その根拠にあまり疑問をもつことなくカンファレンスが行われているかもしれません。

 しかし、本当に集団で話し合って決めることによって、より賢明な判断が可能になるのでしょうか? 確かに多様な価値観やスキルをもった人たちが集まることで1人では思いつかないようなアイデアや解決を導き出せることを経験することがあります。実際、シンプルな課題(クイズのように正解がある課題)については、集団は平均的な個人に比べて正しく回答できることが知られています(それでも、最もすぐれた個人の判断には及びません)。この事実に照らし合わせると、医学的なデータやエビデンスを確認してEBMに基づいて最も治療効果の高い治療法を検討するような臨床カンファレンスの場合は集団で検討するほうが有利であるといえるでしょう。また、「集合知」と呼ばれ、集団は母数が多いほど過大評価と過小評価が相殺され正解に近づくことがわかっています(例えば、牛や魚の重量当てコンテストで、最も正解に近かった人よりも参加者全員の平均値のほうが正解に近かったという報告は有名)。

 一方、最善解がわからない課題については、集団は個人の平均値より悪い結果になりやすいことが知られています。つまり、倫理的問題のように答えが明確ではない問題において、集団による話し合いは、1人1人が個別に考えるより、非合理な結論になる傾向が高いことになります。ちなみ、「集合知」についても、正しく機能するためには情報交換せず個々の意見が独立していなければなりません(情報交換すると集合知の精度が落ちるということです)。

 なぜ集団の話し合いは非合理な結論になりがちなのでしょうか? その具体例をいくつか見てみましょう。

集団は心理バイアスを悪化させる

 人は間違いを犯しやすい存在であり、そのために「集団で話し合えば、個人の過ちを減らすことができるはずだ」と大きな期待がかけられます。しかし、実際には集団は個人の間違い(バイアス)をむしろ増幅してしまいがちになることが知られています。確証バイアス、代表制バイアス、フレーミング効果、サンコスト・バイアス、共有情報バイアスなどは集団のほうが状況を悪化させやすいことが指摘されています。

 特に集団の意思決定の質を下げることが指摘されているのは「共有情報バイアス」です。共有情報バイアスとは、集団で意思決定するとき、メンバー全員がすでに知っている情報(共有情報)ばかりが話題に上りやすく、個別にしかもっていない情報(非共有情報)が出てこない現象のことです。会議では「みんなが知っていること」について話すほうが、話が弾んで賛同も得やすいものですが、そればかり繰り返すと、本当は重要な「新情報」や「少数派の意見」が埋もれてしまうことになり、その結果、意思決定の質が下がってしまう危険があります。

集団極化

 「集団で話し合うことで、個人の極端な判断に偏らず、より穏当な判断ができるはずだ」と広く考えられています。しかし、実際には集団は討議によって討議前よりさらに極端になりやすいことが多くの研究から示されています。このように集団で何かを決める際、1人で決めるときよりも極端なものを選びやすくなる現象を集団極化(group polarization)と呼びます。集団極化は、集団を構成するメンバーの特性によって、意思決定が極端に大胆になったり(リスキー・シフト)、慎重になったりします(コーシャス・シフト)。リスキー・シフトとは、端的にいうと「赤信号みんなで渡れば怖くない」に表れているように、集団だとリスクのある選択肢を取りやすくなるということです。逆に、コーシャス・シフトとは、集団だと「これまでどおりにしよう」と「現状維持の先延ばし」になりやすいのがその典型でしょう。カンファレンスで結論が出ずに長々と続くこともコーシャス・シフトが原因となっていることも多いでしょう。

 集団はリスキーな方向にもコーシャスな方向にもシフトする傾向がありますが、集団に「リスクは積極的に取っていこう」という価値観をもった人が多ければリスキー・シフトになりやすくなり、逆に「慎重に行おう」という価値観をもった人が多ければコーシャス・シフトになりやすいようです。

責任回避の集団心理

 ナチスはなぜ何百万人という大量のユダヤ人を虐殺(ホロコースト)することが可能だったのでしょうか。ドイツ人がまれにみる極悪非道な人間だったのかというと、決してそうではありません。アウシュビッツ強制収容所のホロコーストを主導したアイヒマンには性格にまったく異常がなかったことが複数の精神科医によって示されており、虐殺に加担した大多数のドイツ人もごく普通の人たちでした。もし1人の人間がホロコーストのすべてを行わなければならないとしたら、ほとんどの人は実行を躊躇したでしょう。しかし、自分の意思ではなく上司の命令で、しかもごく一部の作業を担うのみだと、「私はいわれるままにボタンを押しただけ」などと考え、自らを責任主体とは認識しづらく、心理的な負担は大きく軽減されます。こうして、ごく普通の人たちが非人道的な行為を集団の中では実行できてしまうのです。ハンナ・アーレントは、アイヒマンのことを「思考を放棄した平凡な官僚」と指摘し、特別な邪悪さをもたなくてもシステムの一部として残虐な行為に加担しうる実態を「悪の凡庸さ」と名付けて警告しました。

 ユダヤ人ホロコーストは極論と思うかもしれませんが、責任回避の集団心理が生じる現象はどこにでも存在します。むろん、医療の世界も例外ではありません。非人道的な行為に多数が加担してしまった「悪の凡庸さ」は、ハンセン病患者の断種政策、薬害エイズ事件、精神病院での集団虐待事件など枚挙にいとまがありません。
(ナチスの戦犯裁判に関する報告書『エルサレムのアイヒマン(Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil)』)

集団は他人任せになりやすい

 共同で課題を遂行する場面では個人的にはできるだけ労力を負担したくないという心理が存在します。何かを計画したり方針を決めたりするためにはそれなりの事前の学習や準備の負担を要することがあります。こうした状況において、特に個人の成果が求められない場面では、自分は手抜きをして他のメンバーの努力に「ただ乗り」しようという心理が働きやすくなります。こうして集団で作業をすることによって1人当たりのパフォーマンスが低下する現象を「社会的手抜き」といいます。話し合いの場面においても自分よりもその領域に詳しい人がいると、その人の意見に従い自分の頭で考えなくなるという事態に陥りやすくなります。

集団は他人任せになりやすい、というイラスト

ブレイン・ストーミングは斬新なアイデアを生み出しにくい

 何か新しい取り組みを始めるときに、「みんなで意見を出し合おう」と考えることがよくあります。このような会議手法はブレイン・ストーミングと呼ばれ、その提唱者であるオズボーンは、「みんなで考えることによって1人で考えるより2倍のアイデアが考え出される」と主張しました。わが国でも古くから「3人寄れば文殊の知恵」と言ったりするように、一見、多数が集まって話し合ったほうが妙案・良案がたくさん出そうなものですが、実際は人が集まって話し合うことでアイデアの質や量が高まるというわけでもないようです。

 これまでの調査・研究によると、集まって話し合いながらアイデアを出し合う集団(ブレスト集団)と、集団の1人1人がまわりに影響されず個別に熟考して意見を出す集団(非ブレスト集団)との比較検証の結果は一貫して「3人寄れば文殊の知恵」を支持するものではなく、ブレスト集団が非ブレスト集団と比べて質的、量的に下回る結果であったことが明らかにされています。つまり、わざわざみんなで集まってブレイン・ストーミングするより、1人で黙々と考えたことを集めるほうが創造性も高まるし良いアイデアも出やすいようです。

思考は伝染し増幅する

 集団内では、ある考えが優勢になったとき、その考えがさらに勢力を強めていくことがあります。このように、ある考えや選択が多くの人から支持されることで、さらにその選択肢への支持が増幅される現象は、多数派の意見に便乗する様子から、「バンドワゴン効果」と呼ばれています。「みんながやっているから安心」などの形で、他の人の考えに判断が引きずられ、伝播していく例は身近にあふれています(例:店に行列ができているとさらに行列が長くなる)。特に医療現場は不確実性が高く、専門性の壁もあるため、「多数派」「権威」「流行」への依存が生じやすく、時間的・心理的に余裕がないと、なおのこと十分検討せずに、「周囲の動向に合わせて行動しておこう」という増幅現象が見受けられます。こうして、多数派がどんどん優勢を強め、劣勢側にある異論は抑えられる方向へと同調圧力を生み出すことにもなります。

 同じく、他人の行動に影響されて自分の判断を変える現象として「カスケード効果」もあります。カスケード効果はカスケード(段差を伝って次々に下の段に水が流れること)のように、ある判断が連鎖的・不可逆的に次の現象を引き起こす様子を表します。医療現場でも、例えば、最初に救急医が行った診断を無意識に正しいとみなして、あとの医師や看護師が同じ方向で対応してしまうように、初期判断を積極的に検討せず議論が狭まり意思決定の幅が制限されることは少なくありません。

思考の伝染イラスト

集団浅慮(グループシンク)

 集団が非合理な結論に陥りやすい大きな原因の1つとされるのが集団浅慮(グループシンク)です。集団浅慮とは米国の社会心理学者 A・ジャニスが提唱した概念で、「円滑に合意を得ようとするあまり、集団において物事を多様な視点から批判的に評価することができず、判断が非合理な方向に歪められてしまう現象」と理解されています。ジャニスは集団浅慮が発生しやすい集団には4つの特徴があることを示しました。

集団浅慮のイラスト

①集団凝集性が高い

 集団の結びつきが強く、親密度が高いほど情報共有や意思決定を円滑に行えて人間関係も円満なことが多いためチームワークの良さにつながります。その一方で、集団の和を乱さないことを優先してしまいがちになり、同調圧力が強くなることで、反対意見を言いづらい雰囲気が形成されやすくなります(発言ブロック)。こうして合理的な判断を下すことよりも集団としての団結や居心地の良さを優先することで不合理な選択をしてしまうのです。誰かが反対意見や違和感を抱いていても「組織の和を乱したくない」といった理由から多数派の意見に従ってしまい、多様な視点からの意見が出づらくなることもあります。多くの人は周囲から嫌われたくないと思っていますので話し合いの場においても不興を買いたくないという心理が働きます。このような事情から、凝集性が高い集団においては「場の雰囲気の良さ」や「自分に対する周囲の評判」を優先して議論を戦わせず沈黙を保つという集団心理が、特に立場の低い人々ほど生じやすいといえます。

②集団の閉鎖性が高い

 「集団の閉鎖性が高い」とは、集団が閉鎖的で外部の情報に触れる機会が減ることです。医療現場において、医療行為は法的に医師によって独占されており、専門性も高いため、おのずと閉鎖的な組織になりがちです。加えて、医療者は守秘義務を課されているため、患者の情報をむやみに外部へ漏らすわけにはいきませんので、外部と情報を共有することにもさまざまな制約が生じます。そのため、医療現場は閉鎖性が高い集団の典型といえるでしょう。

 閉鎖性の高い集団では考え方や意見が似通ってしまいがちになり、正常性バイアス(固定観念や先入観から、異常なできごとを「正常」と思い込もうとする心の働き)も生じやすくなりますので、非合理的な判断をしていても誤りに気付くことができなくなってしまいます。

③支配的なリーダーの存在

 指導力や統率力にすぐれたリーダーは頼もしく大きな影響力をもつ存在です。このような指導力のあるリーダーがいると意思決定を円滑に進めやすくなります。

 一方で、リーダーの影響力が大きすぎると、リーダーと異なる意見をもっていたとしても、「自分の意見が間違っているに違いない」と考えて自分の意見を退けがちになります。さらにリーダーがメンバーの発言機会を十分に担保していないと、反対意見を言えない雰囲気をつくり出してしまうことにもなります。こうして常日頃からトップダウンで意思決定が行われていると、下の人間は命令に従うだけの状態になってしまうため、多様な意見が生まれにくくなってしまうこともあります。

④高いストレス状況

 集団は意思決定の場が高いストレス状況にあると、そのストレスから解放されたい一心から、話し合いを早く終わらせようとしてしまったり、カンファレンスを面倒くさいと考えがちになります。そして、早く話し合いを終わらせようと意識することは、表面的な話し合いをまねき、非合理な決断をしてしまう危険性をもっています。
 医療現場では、しばしば時間的な余裕がない中で患者の命にかかわるような重大な選択をしなければならないという高いストレス環境にさらされています。意識的にではないにせよ、忙しさも相まって早く決定することが優先されてしまい、判断能力が欠如してしまうことがあります。

 これら4つの特徴が実際にどれほど集団浅慮につながりうるのかについては研究者によって意見の分かれるところもありますが、いずれにせよ、医療現場において、凝集性、閉鎖性、頼もしいリーダー、高いストレス状況は、本質的に備わった特性であり、かならずしも悪いことばかりではありませんので、早急に改めるべきこととはいえません。むしろ、このような医療現場の特性を踏まえた集団浅慮を防ぐための工夫をすることが必要でしょう。

\続きは書籍で/

大阪市立総合医療センター流
私たちの倫理コンサルテーションメソッド

多田羅竜平 編著
B5・152ページ
定価:2,750円(税込)
照林社

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