もっと断捨離しておけばよかった

 がん患者の立場になり、けっこういろいろなテーマで講演をする機会が増えました。このごろよく講演するテーマの1つに「患者になって皆さんに伝えたいこと」があります。先日このテーマで話したときに、「病気と診断される前に何をやっておいたらよいですか? もしくは何をやっておいたらよかったですか?」と質問を受けました。
 
 じつは最近、「終活」などが注目を浴びるようになったためか、同様の質問を受けることがよくあります。以前はどちらかというと「病気になる前からがんについてもっと一般的な知識を身につけてほしい」「医療についてもっと興味をもってほしい」などと医者的な立場で答えていましたが、最近は自分自身の反省も踏まえて、「もっと断捨離をしておけばよかった」と答えることが多くなりました。

 治らない胃がんと告知され、本来は「いちばんよい治療法はどれなのか?」「どこで治療を受けるのか?」そして「自分自身の予後不良、死までの時間が限られている病状などを受容すること」に時間を使わないといけなかったと思います。

 でも実際のところは、まず「自分が生きている間に何をしておかないといけないか?」、逆に「自分がいなくなっても大丈夫なことは何なのか?」を分別して、やらないといけないことに順番をつけてどんどんこなしていくのにけっこう時間を費やしました。
 
 だいたいが飽きっぽい性格なのに物質欲があり、物を集めたり買ったりすることが好きで、いろいろな物や場所に興味を持ち、わりと人づきあいがよい反面、整理整頓が苦手で部屋は物があふれている状態でした。そしてその場の返事はいいですが、もともとは「明日できることは明日にしよう」という、よく言えば気楽な(?)ポリシーの持主です。
 
 当然ながら人生はまだまだ続くと勘違いしていたような人間が、ある日「治療をしなければ予後半年」と宣告されたわけなので、慌てふためいたのは推して知るべしです。そして、いろいろなことを片づけないといけない―─。断捨離しないといけないと気づきました。

人生において断捨離は「物」だけではない

 断捨離というとどうしても物だけのような気がしますが、それだけではありません。

 例えば人のつきあいにも断捨離があります。自分とは考え方・性格・行動その他がまったく違う世界(次元?)の人や、いろいろな意味で本当は嫌いな人でも「もしかしたらいつかお世話になるかもしれない」「いつか自分の活動にプラスになるかもしれない」と思い、表面上のつきあいをしていることは少なくないと思います。
 
 でもよくよく考えてみると、その後、実際にお世話になったり、もともと嫌いだったけれど逆に好きになったりするようなことが多く起こるでしょうか?あったとしてもごくまれだと思います。おそらくファーストインプレッションのような感覚はずっと引きずってしまい、それを覆すということは、本当によっぽどのことがないと難しいのだと思います。

 そのように思うと、人間関係の断捨離をすることも十分に「あり」であり、実際に断捨離を始めると、それ以降の生活でもまわり(人の目)をあまり気にしなくなり、楽になったことは間違いありません。

自分が使える時間は有限である

 自分自身もそうですが、たいていの場合、毎日が忙しく時間に追われるような感じで過ごしていると「いつかやればいい」「今度やればいい」「時間があるときにこなせばいい」……など、いろいろなことを先送りしています。

 ただ、今回の自分自身のように人生に終わりがあるということを認識すると、「いつか」というものは当然なくなり、「やるか」「やらないか」の3択になります。最近の医療の進歩や、いろいろなメディアの発信を見聞きしていると人間は永久に生きて死なない、自分が使える時間は無限にあるのではないかとけっこうな人たちが勘違いしているような気がします。原因はがんとは限りませんが、少なくとも現時点では人間の死亡率は100%で、必ず死が訪れます。

 であれば、自分が使える時間は有限であり、何でもかんでも「いつか」と考えることをやめ、やらないことはすっぱりと切り捨てたほうが、時間を有効に使うことが可能となります。もしも自分のように予後不良ながんと診断されても、断捨離に余計な時間を要することもなく、限られた時間を有効に使えるのではないでしょうか?

この記事は『がんになった外科医 元ちゃんが伝えたかったこと』(西村元一著、照林社、2017年)を再構成したものです。
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