NHK連続テレビ小説『風、薫る』の医事考証を担当する冨田泰彦先生にインタビュー。手術シーンや医療器具の再現へのこだわり、明治期のナースの姿、今後の医療的見どころなど、詳しく語っていただきました。
話を聞いたのは
冨田泰彦先生
杏林大学 医学部医学教育学 特任教授、同付属病院 総合研修センター 副センター長杏林大学医学部脳神経外科、救急医学(高度救命救急センター)にて診療・研究・教育に従事。日本医学史学会・医学史教育に関する委員会・委員。漫画およびドラマ『JIN-仁-』(集英社/TBS)の医療監修をきっかけに、NHK大河ドラマ『龍馬伝』『どうする家康』、NHK連続テレビ小説『らんまん』『虎に翼』『あんぱん』など、多数のドラマや漫画の医療監修・医事考証・医事指導を担当。
ワイシャツにベスト、今井教授の手術シーンはどこまで本当?
――「医事考証」とはどのような役割なのでしょうか。
『風、薫る』の医事考証では脚本の第1稿から目を通し、医療描写が医学的・時代的に合っているかを確認します。問題ない場合は「○」、専門家が見ると違和感があるものは「△」、絶対だめなものは「×」という3段階に分けています。例えば、手術をする病気として一般の視聴者にもなじみのある虫垂炎が脚本に書かれていましたが、明治期は手術適応ではありませんでした。なので、「△」をつけて「違う病気にしたほうがいいです」といったコメントをして調整してもらう、そうしたことの積み重ねです。
――劇中で今井教授(演・古川雄大さん)がワイシャツ、ベストという日常着のままで手術をするシーンがありました。時代設定は1888(明治21)年とのことですが、当時は手術着や手袋、マスクを着用せずに手術をしていたのでしょうか。
手術について、明治20年代までは写真の史料があまりなく、イラストや文章で確認をしました。『東京大学医学部百年史』には、お雇い外国人でドイツ人外科医のユリウス・スクリバが、シャツの袖をまくり、チョッキの上に革の前掛けをして手術を行ったと書かれています。これになぞらえて、今井教授の手術シーンはあのスタイルになりました。明治20年代以降、だんだんと割烹着のような手術着が広まっていきます。

世界の外科医の手袋について調べた論文によると、1890(明治23)年では着用率は5%程度。1900(明治33)年で28%です。100%になるのは1950(昭和25)年とのことでした。
ちなみに、手術用のゴム手袋は1889(明治22)年にアメリカで開発されました。ジョンズ・ホプキンズ大学の外科医で、乳がんの術式の名前にもなっているハルステッドが、タイヤメーカーに開発を依頼。なぜゴム手袋をつくろうとしたかというと、手術室看護師の婚約者の手が消毒薬で荒れていたからだそうです。人間味のあるお話ですよね。
マスクについては、明治30年ごろから有効性が提唱され始めましたが、社会的に普及したのは1918(大正7)年のスペイン風邪がきっかけ。日本で使い捨てのマスクが一般的になったのは1960年代です。マスクの歴史については、北多摩薬剤師会のサイトに詳しく紹介されています。
手術シーンで横から噴射しているのは、消毒薬の石炭酸(フェノール)です。当時はまさに、細菌学が発展していく時期。それ以前は、ナイチンゲールが悪い空気(ミアズマ)が病気の原因だから換気が大切、ということを唱えていたように、社会的にも医学的にも、細菌という定義がきちんと理解されていなかったんです。
1870年代から1890年代にかけて、ドイツのコッホや北里柴三郎、志賀潔といった細菌学者らの発見により、特定の細菌が病気の原因であると認識されていきました。

明治期の医療カタログを参考に医療器具を再現
――手術シーンに登場した医療器具は、どのように準備されたのでしょうか。
当時の医療器具にはどのようなものがあったのか、調べるのには本当に苦労しましたね。古書店で明治20年ごろの医療カタログを手に入れ、手術シーンの参考になるものをチェックして、打ち合わせの際に医療美術担当の方に用意できるかを相談しました。当時は海外から輸入された手術器具が多く、徐々に日本製のものを作るようになっていった時代です。

手術器具は、石炭酸の消毒薬に漬け置きをして消毒していたようです。煮沸消毒はもう少し後、1892(明治25)年にはシンメルブッシュ式の蒸気滅菌器が日本に導入されたことがわかっています。その後、蒸気滅菌器が普及すると、石炭酸のスプレーは使われなくなりました。
乳がん手術などのシーンで出てきた麻酔の方法は、開放点滴法といいます。クロロフォルムなどの液体麻酔薬を滴下したガーゼでマスクを覆って吸入させる方法です。昭和の半ばくらいまで、この方法で麻酔を行っていたことが書かれた文献もあります。

ドイツ留学の設定をもとに「メス」は「メッサー」に
――明治期、看護ではイギリス式が取り入れられましたが、医学ではドイツ式がリードしていた印象です。『風、薫る』の医事考証において、これまでの作品と異なる部分はありましたか。
明治政府が、北里柴三郎や森鴎外らをドイツに留学させたように、日本ではドイツ医学が主流だった面はあります。ただ、ドイツ式はどちらかというと研究がメインであり、一方でイギリス式は実臨床型だったのです。東京慈恵会医科大学を立ち上げた高木兼寛はイギリスに留学しました。ドイツ派とイギリス派の対立では、「脚気論争」が有名ですね。脚気の原因としてドイツ派は細菌説、イギリス派は栄養説を唱えました。
『風、薫る』では学術研究的な話が主流ではないため、ドイツ式、イギリス式を意識しているつもりはありませんが、今井教授はドイツに留学をしていた設定になっています。執刀シーンで、最初は脚本に「メス」と書いてあったのですが、ドイツ語だと「メッサー」なんですよね。ドイツ語監修の方に確認していただいて、OKなら「メッサー」を使ってください、とお伝えしました。そうした手術時のセリフで、ドイツ式を表現したというところはあります。
――仲間由紀恵さん演じる和泉千佳子が、乳がんを告知されるシーンがありました。当時、実際にがんの告知は行われていたのでしょうか。
がんの告知についてはほぼ史料がないものの、岩倉具視が日本で初めてがん告知をされたのではとのエピソードがあります。昭和期に胃がんを胃潰瘍として手術する、ということがあったようですが、胸を切除する乳がんは告知せざるを得ないだろうと考えました。
当時、乳がんがどの程度治るのかを調べたところ、東京大学では1890(明治23)年から33年間で乳がんのデータが86例あり、全治したのは20例で23%。劇中で言われていた「成功率2割」はここからきている数字ですね。

りんや直美のもつ、バイタリティーと観察力
――明治期のナースが主役という点で、『風、薫る』の見どころを教えてください。
私の知る限り、看護師の最初を描いたドラマというのはあまり例がなく、とても価値のある作品だと思います。当時は、梅岡看護婦養成所のモデルとなった桜井女学校附属看護婦養成所や、有志共立東京病院看護婦教育所など、いくつかの学校ができ始めたばかりのころ。教育をする学校と学ぶ生徒、お互いにとってハラハラ、ドキドキの体験ですよね。りんと直美のモチーフとなった大関和さん、鈴木雅さんのような、フロンティア的存在の人たちのバイタリティーはすごいと思います。
現代の看護師が明治期の医療現場に行ったら、さまざまな医療機器がないことにまず驚くと思います。例えば、血圧計もレントゲンも、点滴もまだ普及していません。衛生観念についても先ほどお話ししたとおり、現代の認識とまったく違います。
とはいえ、看護師の視聴者の方から「看護学校時代にシーツ交換で不合格になったのを思い出した」といった感想があるように、自分の若いころを振り返る機会になるのではないでしょうか。

――もしご自身が明治期の医師ならば、ナースにどのような資質・スキルを求めますか?
やはり報告・連絡・相談と、ドラマでも登場した観察力、“Observation(オブザベーション)”ですね。よく患者さんを観察して変化に気づき、それを評価して、医師に伝え、治療に活かしていくことが大事な基本ですから。
りんさんも観察力がありますが、直美さんは周囲をよく見て、知恵を使っていますよね。ちょっと悪く見えるかもしれませんが、いろいろなことに気づいて鋭い。2人合わせると、とてもよい看護婦さんになると思います。
感染症に立ち向かう今後の展開に注目を
――医療の観点から、『風、薫る』の今後の見どころを教えてください。
過渡期ですので、これから看護婦の活躍の場面が変化していきます。ドラマ冒頭でコレラの話がありましたが、コロナのパンデミックを経験したからこそ、ドラマで描けることもあると思います。
明治期にコレラが起こったとき、防疫のために井戸に石灰をまいて消毒していた若い医師に対し、「毒をまいている」との噂が広がり、住民たちが襲って殺してしまうという事件が起きました。“朝ドラ”という制約があるとは思いますが、こうした史実に基づき、少し辛辣に描いてもいいのではという気持ちが個人的にはありますね。
――エンタメとして、医療を描くことの魅力とは?
医療監修・医事考証は、単に医学的なファクトチェックだけではなく、その作品にリアリティを盛り込むことによって、受け手の関心を高められます。ある意味、医療の情報発信のような面があるんです。多くの方に医療について考えていただく機会をつくることには、大きな意義があると思います。
作品を見て「医師になりたい」「看護師になりたい」と思ってもらえるのは、一番うれしいですね。勤務先の大学にも、私がこれまでかかわった作品に影響を受けたという学生さんがいました。
私の医療監修・医事考証としての原点である『JIN-仁-』の原作者の村上もとか先生から、「こうした作品はやはり見てくれる人が『へー!』と思ってくれなきゃダメなので、その『へー!』のためのアイディアをできるだけ教えてほしい」と言われたことが、とても印象深いです。
ドラマを見て、「えー!」とか「へー!」という感嘆詞を口にした経験は記憶に残り、さまざまなことを考えるきっかけになると思います。そういう意味では、『風、薫る』において、ショッキングに見えても、今までにないものを提供することには意義があるのではと感じます。
『風、薫る』放送情報
NHK総合: 毎週月~土曜 午前8時~8時15分
※土曜は1週間振り返り。
NHK BS:毎週月~金曜 午前7時30分~7時45分
NHK BSプレミアム4K: 毎週月~金曜 午前7時30分~7時45分※NHK ONEで同時・見逃し配信予定。
(写真提供:NHK)
※当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載および複製等の行為を禁じます。


